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さてこの章のその今し方の主役である文字はそもそも元を辿れば人間の言語をたとえば粘土板、亀の甲羅、牛の骨、羊の皮、金属、石、木、竹、紙などのような色色な種類のある種の物質的な媒体の上にいざちゃっかりと記録するためのある種の便利な道具としてともすれば極めて人為的な形で発明されてきたものだ。
さて人間社会はもちろんもし仮に無文字の状態にあるものだったとしてもただ単にそのことだけをもってしてたとえば「そのありとあらゆる全ての面である種の未開で野蛮な状態にあるものだ」とまではけっして言えないものだがしかしまた人間社会はたとえば「そのような文字の発明によってこそぞある種の極めて大いなる転換点をいざ迎えることになるものだ」とばかりはいかにもおうおうにして言えるものだ。なぜなら人間社会はひとえに他でもなくそのような文字の発明によってこそぞある種の時空の制約を超えてのある種の情報の正確な伝達の能力をその人類の長い長い進化の過程の中でもおよそ始めて獲得することになるものだからだ。またそれゆえにそのような人間社会についてはもし仮にそのような文字の発明以前のその無文字の人間社会のことをひとえにたとえば「非文明的な人間社会」などとそうひとまずは呼ぶことにするとするならばいかにもこれがはたしてそのような文字の発明以後のその有文字の人間社会のことはそのような「非文明的な人間社会」とも互いに対比さされる形でひとえにたとえば「文明的な人間社会」などとそうしかるべく呼ばれるにも大いに値するものだとも考えれるものだ。
またそのような文字はたとえば〖a〗や〖m〗や〖w〗などのように基本的には括弧の〖〗を使ってこそぞ表されるものだ。
(因みにそのような括弧の〖〗のその実用上の存在意義についてはそれは基本的にはひとえにたとえば「ただならぬ線模様」すなわち「有発音または有意味の文字」すなわち「何らかの特定のたとえば発音や意味などと互いにしっかりと結び付いた文字」ではなくむしろたとえば「ただの線模様」すなわち「無発音かつ無意味の文字」すなわち「何らかの特定のたとえば発音や意味などとは互いにいっさい結び付いてはいない文字」を何ともありがたいことにうまく表示できることにこそぞあるものだと考えれるものだ。)
またそのような文字はいくつかの複数のものが互いに組み合わさることで1つの文字系をいざ形成することになるものだがそのような文字系はひとえにある種の系、構造、集合などとしての色色な種類の基本的な特徴をその他のもろもろの系、構造、集合などとも互いに同じでまた同じく示すことになるものだ。
さてところでそのような文字はたとえば「表単語文字」⦅ヒョウタンゴモジ、Logogram、ロゴグラム、表語文字、ヒョウゴモジ⦆、「表発音文字」⦅ヒョウハツオンモジ、Phonogram、フォノグラム、表音文字、ヒョウオンモジ⦆、「表意味文字」⦅ヒョウイミモジ、Ideogram、イデオグラム、表義文字、ヒョウギモジ、表意文字、ヒョウイモジ⦆などのように基本的にはその文字の使われ方に応じて・・・つまりはかの人間の音声言語の2大要素である発音と意味の中でも特にその内の「そのいずれかの要素を表すかどうか?」または「そのいずれもの要素を表すかどうか?」に応じて・・・いざ3つの種類のものへと分けれることになるものだ。
まずそのような文字の中でも特にその内のかの人間の音声言語の2大要素である発音と意味の中でも特にその内のその発音とその意味のその両方ともをも表すものは1般にはたとえば「表単語文字」などと呼ばれるものだ。
そしてまたそのような文字の中でも特にその内のかの人間の音声言語の2大要素である発音と意味の中でも特にその内のその発音のみを表すものは1般にはたとえば「表発音文字」などと呼ばれるものだ。
そしてまたそのような文字の中でも特にその内のかの人間の音声言語の2大要素である発音と意味の中でも特にその内のその意味のみを表すものは1般にはたとえば「表意味文字」などと呼ばれるものだ。
さてところでそのような文字の中でも特にその内のその表単語文字についてはそれは時としてただ単にそれ自体の単独ではその表発音性がある種の極めて不完全なものにともすれば留まってしまいがちなことなどもあるものだがまたそれゆえにそのような文字の中でも特にその内のその表単語文字についてはそれは時としてその表発音性のある種の慢性的な不足をいざしっかりと補ってあげる意味でもそのような文字の中でも特にその内のその表発音文字とは互いにしばしば何かにつけて仲良しこよしで並用されることなどもあるものだ。
またそのような文字の中でも特にその内のその表発音文字についてはそれはたとえばまた別のいわゆる「発音記号」⦅ハツオンキゴウ、Phonetic Symbol、フォネティック・シンボル⦆とは互いにいったいどこがどう異なっているものなのだろうか?
さてそのような表発音文字は理想的にはたとえば「とある1つの音素に対しては常に必ずやとある1つの文字がそれ以上でもそれ以下でもなくちょうどぴったりと割り当てられている」というようにその音素とその文字のその互いの1対1の対応がきちんと正しく完璧に維持された状態にあるのこそぞが極めて望ましいものだが現実的にはたとえば「とある1つの音素に対してなのにも関わらずなぜかとある2つ以上の文字がかなりいいかげんにも過多に割り当てられてしまっている」や「とある2つ以上の音素に対してなのにも関わらずなぜかとある1つの文字がかなりいいかげんにも過少に割り当てられてしまっている」などというようにその音素とその文字のその互いの1対1の対応がともすればかなりめちゃくちゃに崩壊してしまった状態にあることもこれがはたしてままままなきにしもあらずなものだ。そのような表発音文字でのそのようなその音素とその文字のその互いの1対1の対応の崩壊は1つにはたとえば「人間の言語では「とある音素系についてはそれをいざきちんと正しく分析していってそのとある音素系に属しているそれらの1つ1つの音素たちに対してはそれぞれに1つの文字をいざきちんと正しく割り当てていく」というのは実際にはかなり難しいことだ」ということがあるものだからだがもう1つにはたとえば「人間の言語ではもし仮にそのとある音素系に属しているそれらの音素たちの数に対してそのとある文字系に属しているそれらの文字たちの数がよもやいくばくか不足していたとしてもその時にはそこではそのとある文字系のその全体のその意匠上の審美律をうっかりと犯してしまわずにそのとある文字系に対してまた別の新たな文字をその必要に応じていざ後から付け加えるのは実際にはかなり難しいことだ」ということがあるものだからでありまたそれゆえにたとえば「そこではその音素の極めて旺盛な需要に対する所のその文字の極めて絶対的に不足してやまない供給というある種のじれじれじれっとじれったいジレンマのようにむずがゆもどかしすぎる状況が得てして見られてしまいがちなものだ」ということがあるものだからだ。
そしてまたいかにもそのような発音記号は基本的にはそのような表発音文字のそれらのもろもろの至らない点たちをいざ補うものとしてこそぞ・・・つまりはたとえば「とある1つの音素に対しては常に必ずやとある1つの発音記号がそれ以上でもそれ以下でもなくちょうどぴったりと割り当てられている」というようにその音素とその発音記号のその互いの1対1の対応がきちんと正しく完璧に維持された状態にあるものとしてこそぞ・・・いざぽつぽつと使われ始めてきてはついにはこの世の中のはなばなしい脚光をいざたっぷりと浴びるようになってきものだと考えれるものだ。
さてではここでは「親〈日本〉語的な色色な種類の文字系」すなわち「その本書の主題であるその〈日本〉語の正書法の問題とも互いに関係してのその〈日本〉語をいざ何かしらどうにかしらして表記するためにしばしば使われることのある色色な種類の文字系」についていざ見ていくことにしよう。
まずそれらの親〈日本〉語的な色色な種類の文字系の内の1つとしてはたとえば「漢字系」⦅カンジケイ⦆すなわち「漢文字系」⦅カンモジケイ⦆が挙げれることになるものだ。
さてこの漢字系は基本的にはかの古代の中国でこそぞ使われ始めたものだが「今」⦅西洋暦の紀元後2024年⦆から数えて少なくともおよそ3000年以上前すなわち西洋暦の紀元前1000年以前のそのかの古代の中国のかの〈殷〉⦅イン⦆朝の時代にはもう既に使われ始めていたものでありそしてまたこの漢字系はもちろん場合いによってはそれよりもいくばくか前の時期にまでさかのぼって使われ始めていたものである可能性もいかにも充分に考えれるものだがしかしまたその1方でそこではたとえば「この漢字系はいったいいつどこで誰によっていざいみじくも使い始められたものなのか?」ということをいざきちんとまるで寸分もたがわずに正確無比に決定するのはいかにもどうにもこうにもなかなか難しいことだ。
またそれらの親〈日本〉語的な色色な種類の文字系の内の1つとしてはたとえば「和字系」⦅ワジケイ⦆すなわち「和文字系」⦅ワモジケイ⦆が挙げれることになるものだ。
さてこの和字系は基本的にはかの古代の日本でこそぞ使われ始めたものだが前述の漢字系こそぞをその基盤としつつもその前述の漢字系をたとえばかなり自由に改変したりするなどすることでおよそ西洋暦の紀元後1000年頃までにはその大部分の顔ぶれが1通りずらりと出揃っていたものだ。
またそれらの親〈日本〉語的な色色な種類の文字系の内の1つとしてはたとえば「ローマ字系」⦅Romaジケイ⦆すなわち「ローマ文字系」⦅Romaモジケイ⦆が挙げれることになるものだ。
さてこのローマ字系は基本的にはかの古代のローマ帝国でこそぞ使われ始めたものだがそれ以前に発達していたかのフェニキア文字系やかのギリシャ文字系などこそぞをその基盤としつつもそれらのそれ以前に発達していたかのフェニキア文字系やかのギリシャ文字系などをたとえばかなり自由に改変したりするなどすることでおよそ西洋暦の紀元前500年頃からそれ以後の時代にはその勢力をしばしば徐々に拡大してきているものだ。
またそれらの親〈日本〉語的な色色な種類の文字系の内の1つとしてはたとえば「数字系」⦅スウジケイ⦆すなわち「数文字系」⦅スウモジケイ⦆が挙げれることになるものだ。
さてこの数字系は基本的にはかの古代の〈中東〉でこそぞ使われ始めたものだがこの今の現代の世界を生きる人たちが常日頃、日常的に使っているようなそんなかの数字の0を使ったかの10進法の位取りに基づいた数の表記法がいざしっかりと堅固に確立されたのはそれよりもかなり後の時代になってからのことだ。
さてではここではそれらの親〈日本〉語的な色色な種類の文字系の中でも特にその内のその漢字系についていざ見ていくことにしよう。
さてではここではそのような漢字系の中でも特にその内のその漢字系の文字の意匠についていざ見ていくことにしよう。
まずそのような漢字系の文字すなわち漢字はかの古代の中国のかの〈殷〉⦅イン⦆朝の時代にはたとえば神託や卜占などの概要や結果などをたとえば亀の甲羅や牛の骨などこそぞをその記録の媒体としていざしっかりと書き残しておくためにこそぞよく使われたものだがそのような漢字系の文字すなわち漢字の中でも特にその内のそのそれらの亀の甲羅や牛の骨などこそぞをその記録の媒体としたものは基本的にはその記録の媒体の名前を冠してたとえば「甲骨文字」⦅コウコツモジ⦆や「亀甲獣骨文字」⦅キッコウジュウコツモジ⦆や「卜文」⦅ボクブン⦆などと呼ばれるものでありそしてまたその意匠は基本的にはしかるべくたとえば「甲骨文字体」⦅コウコツモジタイ⦆や「亀甲獣骨文字体」⦅キッコウジュウコツモジタイ⦆や「卜文体」⦅ボクブンタイ⦆などと呼ばれるものだ。
(因みにそこではその「文」⦅ブン⦆は基本的にはひとえに「文」⦅ブン、Sentence、センテンス⦆ではなくむしろ文様1般、特に図画的な文字こそぞを意味しているものだ。)
またそのような漢字系の文字すなわち漢字はさらに時代が下るとたとえば国家や偉人などの歴史や業績などをたとえば青銅器や石碑などこそぞをその記録の媒体としていざしっかりと書き残しておくためにこそぞよく使われたものだがそのような漢字系の文字すなわち漢字の中でも特にその内のそのそれらの青銅器や石碑などこそぞをその記録の媒体としたものは基本的にはその記録の媒体の名前を冠してたとえば「青銅器文字」⦅セイドウキモジ⦆や「石碑文字」⦅セキヒモジ⦆や「金文」⦅キンブン⦆や「石文」⦅セキブン⦆や「金石文」⦅キンセキブン⦆などと呼ばれるものでありそしてまたその意匠は基本的にはしかるべくたとえば「青銅器文字体」⦅セイドウキモジタイ⦆や「石碑文字体」⦅セキヒモジタイ⦆や「金文体」⦅キンブンタイ⦆や「石文体」⦅セキブンタイ⦆や「金石文体」⦅キンセキブンタイ⦆などと呼ばれるものだ。
(因みにそこではその「文」⦅ブン⦆は基本的にはひとえに「文」⦅ブン、Sentence、センテンス⦆ではなくむしろ文様1般、特に図画的な文字こそぞを意味しているものだ。)
(また因みにそこではその「金」⦅キン⦆は基本的にはひとえにかの元素番号79番の元素「Au」=「黄金」⦅こがね、Gold、ゴールド⦆ではなくむしろ金属1般、特に「青銅」⦅セイドウ、Bronze、ブロンズ⦆こそぞを意味しているものだ。)
またそれとも互いに並行してそのような漢字系の文字の意匠としてはその他にも色色な種類のたとえば亜種、異種、後継種、改変種などがいかにも次から次へと出てくることになるものだがたとえばかの古代の中国のかの〈秦〉⦅シン⦆朝の時代のかの〈始〉⦅シ⦆皇帝によって西洋暦の紀元前200年頃にかの古代の中国のその数多くの領域がいざ統一的に支配されることになった時にはそこではそのような漢字系の文字の意匠としてはひとえにある種の丸みとある種の象徴性とをどちらも共に兼ね備えたものであるたとえば「篆書体」⦅テンショタイ⦆がいざ発明されては普及することになったものだ。
またそれからしばらくするとかの古代の中国では紙がいざ発明されては普及することになるものだがそのようなそのかの古代の中国でのその紙がいざ発明されては普及することになってからそれ以後の時代にはそこではそのような漢字系の文字の意匠としてはひとえにその紙に対するある種の毛筆での書作により実用的に適したものであるたとえば「隷書体」⦅レイショタイ⦆や「楷書体」⦅カイショタイ⦆や「行書体」⦅ギョウショタイ⦆や「草書体」⦅ソウショタイ⦆などがいざ発明されては普及することになったものだ。
またさらに時代が下ってごくごく最近の近現代以後の時代になってくるとそこではそのような漢字系の文字の意匠としてはその他にも特に台湾、香港、その他のもろもろの地域などを除くかの中国の本土では旧来のたとえば「繁体字体」⦅ハンタイジタイ⦆に対する所のたとえば「簡体字体」⦅カンタイジタイ⦆がいざ新たに考案されることにもなったものだ。
またさらに時代が下ってごくごく最近の近現代以後の時代になってくるとそこではそのような漢字系の文字の意匠としてはその他にも特にかの日本では旧来のたとえば「旧字体」⦅キュウジタイ⦆に対する所のたとえば「新字体」⦅シンジタイ⦆がいざ新たに考案されることにもなったものだ。
さてではここではそのような漢字系の中でも特にその内のその漢字系の文字の使われ方についていざ見ていくことにしよう。
まずそのような漢字系は時としてたとえば〈中国〉語や〈日本〉語やその他のもろもろの言語などの〈漢〉単語の単語を表すものとしてこそぞ・・・そしてまたそれに加えてたとえばその他のもろもろの言語などのその言語に個有の発音をそれらの〈中国〉語や〈日本〉語やその他のもろもろの言語などの〈漢〉単語の単語の発音に基づいて表すものとしてこそぞ・・・使われることがあるものだがそのような漢字系の文字の使われ方は1般にはたとえば「「本使い」⦅ホンずかい⦆のものだ」などと呼ばれるものだ。
まずそのような漢字系の文字の本使いの使われ方の中でも特にその内のそれらの〈中国〉語や〈日本〉語やその他のもろもろの言語などの〈漢〉単語の単語こそぞを表すものは1般にはたとえば「表単語のものだ」などと呼ばれるものだ。
たとえばもし仮に〈中国〉語の〈漢〉単語の単語の「無」⦅ブ、ム⦆を漢字の〖無〗を使って表記することにするとしたらその時にはそこではそのような漢字系の文字の使われ方は基本的には本使いの表単語のものに当たるものだ。
またたとえばもし仮に〈日本〉語の〈漢〉単語の単語の「霊」⦅レイ、リョウ⦆を漢字の〖霊〗を使って表記することにするとしたらその時にはそこではそのような漢字系の文字の使われ方は基本的には本使いの表単語のものに当たるものだ。
またたとえばもし仮に韓国語の〈漢〉単語の単語の「강」⦅カン、川⦆を漢字の〖江〗を使って表記することにするとしたらその時にはそこではそのような漢字系の文字の使われ方は基本的には本使いの表単語のものに当たるものだ。
またそのような漢字系の文字の本使いの使われ方の中でも特にその内のそれらのその他のもろもろの言語などのその言語に個有の発音こそぞをそれらの〈中国〉語や〈日本〉語やその他のもろもろの言語などの〈漢〉単語の単語の発音に基づいて表すものは1般にはたとえば「表発音のものだ」などと呼ばれるものだ。
たとえばもし仮に〈日本〉語のその〈日本〉語に個有の発音の「瓜」⦅うり、宇利⦆を漢字の〖宇〗や〖利〗などを使ってそれらの〈中国〉語や〈日本〉語やその他のもろもろの言語などの〈漢〉単語の単語の発音に基づいて表記することにするとしたらその時にはそこではそのような漢字系の文字の使われ方は基本的には本使いの表発音のものに当たるものだ。
またたとえばもし仮に〈梵〉語のその〈梵〉語に個有の発音の「Dharma」⦅ダルマ、達磨⦆を漢字の〖達〗や〖磨〗などを使ってそれらの〈中国〉語や〈日本〉語やその他のもろもろの言語などの〈漢〉単語の単語の発音に基づいて表記することにするとしたらその時にはそこではそのような漢字系の文字の使われ方は基本的には本使いの表発音のものに当たるものだ。
またたとえばもし仮に〈英〉語のその〈英〉語に個有の発音の「〈Britain〉」⦅ブリテン、不列顛⦆を漢字の〖不〗や〖列〗や〖顛〗などを使ってそれらの〈中国〉語や〈日本〉語やその他のもろもろの言語などの〈漢〉単語の単語の発音に基づいて表記することにするとしたらその時にはそこではそのような漢字系の文字の使われ方は基本的には本使いの表発音のものに当たるものだ。
またそのような漢字系の文字の本使いの使われ方の中でも特にその内のそれらの〈中国〉語や〈日本〉語やその他のもろもろの言語などの〈漢〉単語の単語こそぞを複数漢字1体的に表すものは1般にはたとえば「複数漢字1体的な表単語のものだ」などと呼ばれるものだ。
たとえばもし仮に〈中国〉語の〈漢〉単語の単語の「蚯蚓」⦅チョウイン、みみず⦆を漢字の〖蚯〗や〖蚓〗などを使って複数漢字1体的に表記することにするとしたらその時にはそこではそのような漢字系の文字の使われ方は基本的には本使いの複数漢字1体的な表単語のものに当たるものだ。
またそのような漢字系は時としてたとえば〈日本〉語やその他のもろもろの言語などのたとえば〈和〉単語の単語などのようなその言語に個有の単語を表すものとしてこそぞ・・・そしてまたそれに加えてたとえばその他のもろもろの言語などのその言語に個有の発音をそれらの〈日本〉語やその他のもろもろの言語などのたとえば〈和〉単語の単語などのようなその言語に個有の単語の発音に基づいて表すものとしてこそぞ・・・使われることがあるものだがそのような漢字系の文字の使われ方は1般にはたとえば「「訓使い」⦅クンずかい⦆のものだ」などと呼ばれるものだ。
まずそのような漢字系の文字の訓使いの使われ方の中でも特にその内のそれらの〈日本〉語やその他のもろもろの言語などのたとえば〈和〉単語の単語などのようなその言語に個有の単語こそぞを表すものは1般にはたとえば「表単語のものだ」などと呼ばれるものだ。
たとえばもし仮に〈日本〉語の〈和〉単語の単語の「鷲」⦅わし⦆を漢字の〖鷲〗を使って表記することにするとしたらその時にはそこではそのような漢字系の文字の使われ方は基本的には訓使いの表単語のものに当たるものだ。
またたとえばもし仮に〈ベトナム〉語のその〈ベトナム〉語に個有の単語の「𠀧」⦅バ、3⦆を漢字の〖𠀧〗を使って表記することにするとしたらその時にはそこではそのような漢字系の文字の使われ方は基本的には訓使いの表単語のものに当たるものだ。
またそのような漢字系の文字の訓使いの使われ方の中でも特にその内のそれらのその他のもろもろの言語などのその言語に個有の発音こそぞをそれらの〈日本〉語やその他のもろもろの言語などのたとえば〈和〉単語の単語などのようなその言語に個有の単語の発音に基づいて表すものは1般にはたとえば「表発音のものだ」などと呼ばれるものだ。
たとえばもし仮に〈日本〉語のその〈日本〉語に個有の発音の「妙しろい」⦅おもしろい、面白い⦆を漢字の〖面〗や〖白〗などを使ってそれらの〈日本〉語やその他のもろもろの言語などのたとえば〈和〉単語の単語などのようなその言語に個有の単語の発音に基づいて表記することにするとしたらその時にはそこではそのような漢字系の文字の使われ方は基本的には訓使いの表発音のものに当たるものだ。
またそのような漢字系の文字の訓使いの使われ方の中でも特にその内のそれらの〈日本〉語やその他のもろもろの言語などのたとえば〈和〉単語の単語などのようなその言語に個有の単語こそぞを複数漢字1体的に表すものは1般にはたとえば「複数漢字1体的な表単語のものだ」などと呼ばれるものだ。
たとえばもし仮に〈日本〉語の〈和〉単語の単語の「海苔」⦅のり⦆を漢字の〖海〗や〖苔〗などを使って複数漢字1体的に表記することにするとしたらその時にはそこではそのような漢字系の文字の使われ方は基本的には訓使いの複数漢字1体的な表単語のものに当たるものだ。
(因みにそのような漢字系の文字の使われ方としてはその他にも理論上はたとえば「本使いの複数漢字1体的な表発音」や「訓使いの複数漢字1体的な表発音」などのものもいちおうは考えれるものだが事実上はそんな稀有な事例などというものはなかなか見つからないものでありまたそれゆえにここではそのような漢字系の文字の使われ方としてはそれらの「本使いの複数漢字1体的な表発音」や「訓使いの複数漢字1体的な表発音」などのものについてはいざわざわざ改めて取り上げるまでもないものだろう。)
さて世間1般ではそのような漢字系の文字の本使いの使われ方は時としてたとえば「「音読み」⦅オンよみ⦆のものだ」などと呼ばれることがあるものでありそしてまたそのような漢字系の文字の訓使いの使われ方は時としてたとえば「「訓読み」⦅クンよみ⦆のものだ」などと呼ばれることがあるものだがそのような漢字系の文字の使われ方に対する所のそのような「○○読み」という呼称はたとえば「文字→音声」というように基本的にはひとえにその漢字系のその音声の実体のほうよりかはむしろその漢字系のその文字の実体のほうこそぞをより優先的に仮定しているものだからこそぞ出てくるものでありひとえにある種の極めて漢字中心主義的な呼称に当たるものだ。しかしまたその1方で人間の言語ではたとえば「音声→文字」というように基本的にはひとえに「音声を使って話される音声言語は常に必ずや文字を使って書かれる文字言語に対してはより優先するものだ」ということがあるものでありまたそれゆえにそこではそのような漢字系の文字の使われ方に対する所のそのような「○○読み」という呼称はつまりは結局の所は「ある種の不当な順番を想定したあまりにもいかがわしい変態的な倒錯の産物に当たるものだ」ということにいかにもどうにもこうにもなってしまわざるをえないものなわけだがいかにも筆者としてはいざ何となればその点こそぞがその己れの全身の体中に虫唾が走るほどに真に激烈に心の底から気に入らないものでありまたそれゆえに筆者としてはしかるべく本書ではそのような漢字系の文字の使われ方に対する所のそのような「○○読み」という呼称については今やもはやこれをいっさい断じて使わないようにさせていただくことにしようではないか!
また世間1般では時としてたとえば「漢字はひとえに表意味文字である」などと言われたりすることなどもあるものだがそのような「漢字はひとえに表意味文字である」というような考え方は基本的にはどこからどう曲がり曲がって曲がりなりに見てみてもある種の明々白々たる完全無欠の誤りに当たるものだ。なぜならそのような漢字はこれまでにも見てきたようにひとえにたとえば表単語文字や表発音文字などとして使われることは常々あるものではあってもひとえにたとえば表意味文字として使われることは基本的にはないものだからだ。
(因みに表意味文字とはたとえば郵便記号の「〒」や銀行記号の「⛻」や警察署記号の「⭙」などのように基本的にはひとえに「文字の中でも特にその内の何らかの特定の発音などは特には持たないものだがしかしまたその1方で何らかの特定の意味だけは特に持つもの」こそぞを指して言うものだ。)
さてその本書の主題であるその〈日本〉語の正書法の問題についてのみ言うならばそのような漢字は前述の漢字系の文字の訓使いの表単語の使われ方では基本的には〈日本〉語の単語とこそぞ互いに1つに結び付くものだがそのような漢字とそのような〈日本〉語の単語のその互いの結び付きはたとえば「日本で暮らす〈日本〉人たち」すなわち「日本こそぞをその自分自身の生活の本拠地としていて〈日本〉語こそぞをその自分自身の母言語としている人たち」がそのような漢字をいつの間にかあれよあれよという間にちょちょいのちょいとすっかり習得してしまったことである意味ではいやがおうでも必然的に生じてきてしまわざるをえなかったある種の極めて厳正なる宿命にこそぞ当たるものだとも考えれるものだ。なぜならそこではそれらの日本で暮らす〈日本〉人たちのその頭や精神などの中ではそのような漢字とそのような〈日本〉語の単語はひとえにその深遠なる意味こそぞをその偉大なる仲介者としてともすれば自然と放っておいても互いに結び付いてきてしまわざるをえなかったようないかにもそんなものに他ならなかったものだとも考えれるものだからだ。
ああそれは何と甘美なる奇跡の組み合わせだろうか!それは言ってしまえばまるでチョコ・バナナでのバナナの甘みとチョコの苦みのその互いの結び付きのようなそんな神聖なる「マリアージュ」⦅Marriage、結合、結婚⦆・・・いやそれどころかむしろそれは言ってしまえばまるで黒髪ミニスカ美少女での黒髪の清純さとミニスカの卑猥さのその互いの結び付きのようなそんな神聖なる「マリアージュ」⦅Marriage、結合、結婚⦆にもおよそ匹敵するようなまるでこの世のものとは思えないほどに極上の真に絶妙なる奇跡の組み合わせではないか!
ただしそのような漢字系の文字の訓使いの表単語の使われ方はここであえてやや穿った見方をするならばたとえば韓国、朝鮮、〈ベトナム〉などのようなその他のもろもろの漢字文化圏の国々ではたとえば「郷札」⦅キョウサツ、ヒャンチャル⦆や「字喃」⦅チュノム⦆などのようなごく1部の例外を除いてはほとんど発達しなかったものでありまたそれゆえにそのような漢字とそのような〈日本〉語の単語のその互いの結び付きはそういう意味ではひとえにまさしくそれらの日本で暮らす〈日本〉人たちによるある種の極めて画期的な発明にこそぞ当たるものだとも考えれるものだ。
さてではここではそのような漢字系の中でも特にその内のその漢字系の文字の成り立ちについていざ見ていくことにしよう。
まずそのような漢字系の文字の成り立ちについてはそれらの色色な種類の漢字の中でも特にその内のその「図画」⦅ズガ⦆の漢字とは基本的には物事のたとえば姿や形や様子などをある種の図画としてそのまま直接的に描いたものこそぞを指して言うものだ。
さてこの図画の漢字はひとえにその他のもろもろの有象無象の文字系たちに属しているその他のもろもろの有象無象の文字たちなどとは互いに打って変わってただ単に人間のふとした気まぐれによって無造作に引かれたある種のぐちゃぐちゃの線模様などではけっしてないものでありいやそれどころかむしろそれ自体がそれぞれに1つの偉大なる図画に当たるものなわけだがいやはやただ単にそれぞれに1つの卑近なる文字であるはずのものがなんとまあそんなふうにそれぞれに1つの偉大なる図画でもあるとはいかにも「この世の中はかくも広し!」とは言えどもこの世の中にあってそれほどまでにすばらしいことなどというものはいったいいくつあることだろうか!それは喩えて言うならばいかにも「「図画の漢字」と書いて「すばらしすぎる!」と読む」とそうついついうっかりと言い切ってしまいそうになるぐらいにいやはやとてつもなくすばらしいことだ!
たとえば漢字の〖川〗⦅セン、かわ⦆は物事のたとえば姿や形や様子などをある種の図画としてそのまま直接的に描いたものだがまたそれゆえにそれはひとえに図画の漢字にこそぞ当たるものだ。

またたとえば漢字の〖目〗⦅モク、め⦆は物事のたとえば姿や形や様子などをある種の図画としてそのまま直接的に描いたものだがまたそれゆえにそれはひとえに図画の漢字にこそぞ当たるものだ。

またたとえば漢字の〖兎〗⦅ト、うさぎ⦆は物事のたとえば姿や形や様子などをある種の図画としてそのまま直接的に描いたものだがまたそれゆえにそれはひとえに図画の漢字にこそぞ当たるものだ。

(因みにそのような図画の漢字は基本的には後述の6書の象形の漢字と後述の6書の指事の漢字をいざ1つにまとめたものとしておよそ見ておいてその真実とも互いにそこまで大きくはたがわないものだ。筆者としてはそれらの6書の象形の漢字と6書の指事の漢字についてはその互いの区別をあえて付ける必要性がそれほど強くは感じられないものでありまたそれゆえに筆者としては本書ではそれらの6書の象形の漢字と6書の指事の漢字についてはそのような図画の漢字としてこそぞいざ1つにまとめて取り扱っていくことにしよう。)
またそのような漢字系の文字の成り立ちについてはそれらの色色な種類の漢字の中でも特にその内のその「会意」⦅カイイ⦆の漢字とは基本的にはもし仮にたとえば漢字の発音を表す部品のことをたとえば「発音符」と呼ぶことにしまたたとえば漢字の意味を表す部品のことをたとえば「意味符」と呼ぶことにするとするならばたとえば「漢字=意味符+意味符」という形を取るものこそぞを指して言うものだ。
さてこの会意の漢字と前述の図画の漢字のその互いの区別を付ける上ではそもそもまず始めにたとえば「そのような物事はいったいどこからどこまでが1つの互いに1続きの互いに1体不可分の1元体でありそしてまたいったいどこからどこまでがいくつかの複数の互いにばらばらの要素たちを互いにつなぎ合わせた多元体なのか?」という点についてこそぞいざしっかりと明確に定義しなければならないはずのものだがそのような1元体と多元体のその互いの区別というようなある種の哲学的にも極めて難解な問題については基本的にはいくばくかの不確実性が常に必ずやどうしても付きまとってしまうものでありまたそれゆえにそこではそのようなこの会意の漢字と前述の図画の漢字のその互いの区別の問題についてもまた同じく基本的にはいくばくかの不確実性が常に必ずやどうしても付きまとってしまうものだと考えれるものだ。しかしまたこの会意の漢字は前述の図画の漢字とのその互いの区別をそれでもいざあえて付けて言うならばたとえば「その内部のいくつかの複数の意味符たちのそのそれぞれに1つの個体としての独立性がただただ単純に高いものだ」ということだけはいちおうは言えるものかもしれないものだ。
たとえば漢字の〖尖〗⦅セン、さき⦆はたとえば「漢字の〖尖〗⦅セン、さき⦆=意味符の{小}⦅ショウ、ちいさい⦆+意味符の{大}⦅ダイ、おおきい⦆」という形を取るものだがまたそれゆえにそれはひとえに会意の漢字にこそぞ当たるものだ。
またたとえば漢字の〖婦〗⦅フ、あま⦆はたとえば「漢字の〖婦〗⦅フ、あま⦆=意味符の{女}⦅ジョ、ニョ、め⦆+意味符の{帚}⦅ソウ、ほうき⦆」という形を取るものだがまたそれゆえにそれはひとえに会意の漢字にこそぞ当たるものだ。
またたとえば漢字の〖尿〗⦅ニョウ、ゆばり⦆はたとえば「漢字の〖尿〗⦅ニョウ、ゆばり⦆=意味符の{尸}(尾)⦅ビ、お⦆+意味符の{水}⦅スイ、みず⦆」という形を取るものだがまたそれゆえにそれはひとえに会意の漢字にこそぞ当たるものだ。
またそのような漢字系の文字の成り立ちについてはそれらの色色な種類の漢字の中でも特にその内のその「仮借」⦅カシャ⦆の漢字とは基本的にはもし仮にたとえば漢字の発音を表す部品のことをたとえば「発音符」と呼ぶことにしまたたとえば漢字の意味を表す部品のことをたとえば「意味符」と呼ぶことにするとするならばたとえば「漢字=発音符」という形を取るものこそぞを指して言うものだ。
さてこの世の中の色色な種類の物事の中には前述の図画の漢字の時とは互いに打って変わってたとえば文法上の機能単語であるたとえば「助詞」⦅ジョシ、前置詞、ゼンチシ、後置詞、コウチシ⦆などの場合いも含めてそれ自体のたとえば姿や形や様子などをともすればそこまではっきりとは持たないようなある種の抽象的で捉え所のないものもそれはそれはもうじゃんじゃんじゃらじゃらと山のようにあるものだがしかしまたもし仮にそうであったとしてもそこでは前述の会意の漢字の時のようにその物事をいくつかの複数の意味符たちを互いに組み合わせて使うことでそういつもいつもうまくぴったりと簡潔に表せるとはとうてい限らないものだ。またそれゆえにそこではつまりは結局の所はその物事を表すその〈漢〉単語の単語をただ単にある種の発音符としてのみ表せるものがいざ必要とされることにもなってくるわけだがこの仮借の漢字はひとえにまさしくその物事を表すその〈漢〉単語の単語をただ単にある種の発音符としてのみ表すものにこそぞ当たるものだ。
またこの仮借の漢字についてはここであえてもう1つばかり付け加えておくことがあるとすればそれはつまりは「たとえば中国の〈後漢〉⦅ゴカン⦆朝の〈許慎〉⦅キョ・シン⦆作の漢字の解説書の『説文解字』⦅セツモンカイジ⦆などを始めとする色色な種類の漢字の解説書たちを読んでいてもし仮にとある漢字に対してあまりにも荒唐無稽であまりにも突拍子もない説明や解釈などが書かれていたとしたらその時にはそこではそのとある漢字は大抵の場合いにはこの仮借の漢字にこそぞ当たるものだとそうおよそ考えておいてそれでおよそ間違いようのないものだ」ということだ。
たとえば漢字の〖而〗⦅ジ、○○して⦆はたとえば「漢字の〖而〗⦅ジ、○○して⦆=発音符の{而}⦅ジ、ほおひげ⦆」という形を取るものだがまたそれゆえにそれはひとえに仮借の漢字にこそぞ当たるものだ。
またたとえば漢字の〖来〗⦅ライ、くる⦆はたとえば「漢字の〖来〗⦅ライ、くる⦆=発音符の{来}⦅ライ、むぎ⦆」という形を取るものだがまたそれゆえにそれはひとえに仮借の漢字にこそぞ当たるものだ。
またたとえば漢字の〖業〗⦅ギョウ、コウ、ゴウ、わざ、おこなう⦆はたとえば「漢字の〖業〗⦅ギョウ、コウ、ゴウ、わざ、おこなう⦆=発音符の{業}⦅ギョウ、コウ、ゴウ、楽器掛けの板⦆」という形を取るものだがまたそれゆえにそれはひとえに仮借の漢字にこそぞ当たるものだ。
(因みにこの仮借の漢字は時としてたとえば「通用の漢字」⦅ツウヨウのカンジ⦆などと呼ばれることもあるものだ。)
またそのような漢字系の文字の成り立ちについてはそれらの色色な種類の漢字の中でも特にその内のその「形声」⦅ケイセイ⦆の漢字とは基本的にはもし仮にたとえば漢字の発音を表す部品のことをたとえば「発音符」と呼ぶことにしまたたとえば漢字の意味を表す部品のことをたとえば「意味符」と呼ぶことにするとするならばたとえば「漢字=意味符+発音符」という形を取るものこそぞを指して言うものだ。
さてこの形声の漢字はそれらの意味符と発音符を互いに組み合わせて使うことである程度までの発音とある程度までの意味をどちらも共に見事に頃合い良く表すことに成功しているものだがまたそれゆえにこの形声の漢字はその総合的な完成度の高さゆえかこれまでに気の遠くなるほどに長い年月を掛けてつぎつぎと作られてきたありとあらゆる全てのもろもろの漢字たちの中でも特にその内のそのかなり多くの割り合いの部分をいざ威風どうどうと占めているものだ。
しかしまたその1方でこの形声の漢字のそれらの意味符や発音符などの中でも特にその内のその発音符はともすればかなりいいかげんなものでもあるものだ。たとえば形声の漢字の〖消〗⦅ショウ、きえる、けす⦆と形声の漢字の〖削〗⦅サク、けずる⦆はその発音符としてはその互いに共通の発音符の{肖}⦅ショウ⦆をどちらも共に2人で仲良くお揃いで持っているものであるにも関わらずたとえば「ショウ」と「サク」というようにその実際の発音としてはある種の微妙な差異をなぜか摩訶不思議にも示しているものだがさてでは「そのようなある種の極めて不可解な現象はいったいなぜ起こっているのか?」というとそれはつまりは「まず第1にはたとえば「人間の迂闊さによるもの」だとかそしてまた第2にはたとえば「人間の言語の空間的、時間的な差異すなわち人間の言語の方言たちどうしのその互いの差異によるもの」だとか基本的には色色な種類の要因によるものだ」と考えれるものだ。
たとえば漢字の〖時〗⦅ジ、とき⦆はたとえば「漢字の〖時〗⦅ジ、とき⦆=意味符の{日}⦅ジツ、ニチ、ひ⦆+発音符の{寺}⦅ジ、てら⦆」という形を取るものだがまたそれゆえにそれはひとえに形声の漢字にこそぞ当たるものだ。
またたとえば漢字の〖花〗⦅カ、はな⦆はたとえば「漢字の〖花〗⦅カ、はな⦆=意味符の{艹}(草)⦅ソウ、くさ⦆+発音符の{化}⦅カ、ゲ、ばける、ばかす⦆」という形を取るものだがまたそれゆえにそれはひとえに形声の漢字にこそぞ当たるものだ。
またたとえば漢字の〖問〗⦅モン、とう⦆はたとえば「漢字の〖問〗⦅モン、とう⦆=意味符の{口}⦅コウ、ク、くち⦆+発音符の{門}⦅モン、かど⦆」という形を取るものだがまたそれゆえにそれはひとえに形声の漢字にこそぞ当たるものだ。
またそのような漢字系の文字の成り立ちについてはそれらの色色な種類の漢字の中でも特にその内のその「会意かつ形声」⦅カイイかつケイセイ⦆の漢字とは基本的にはもし仮にたとえば漢字の発音を表す部品のことをたとえば「発音符」と呼ぶことにしまたたとえば漢字の意味を表す部品のことをたとえば「意味符」と呼ぶことにするとするならばたとえば「漢字=意味符+意味符かつ発音符」という形を取るものこそぞを指して言うものだ。
さてこの会意かつ形声の漢字はたとえばただ単なる前述の会意の漢字でもなくまたたとえばただ単なる前述の形声の漢字でもなく言うならばちょうどその前述の会意の漢字のその稀有なる特徴とその前述の形声の漢字のその稀有なる特徴をどちらも共に兼ね備えて合わせ持ったようなそんなちゃっかり2股的な漢字にこそぞ当たるものだがこの会意かつ形声の漢字は基本的にはその数はそこまで多いものではないもののしかしまたその1方で場合いによってはそれでもなおしばしば折りに触れて見られるものではあるものだ。
たとえば漢字の〖岩〗⦅ガン、いわ⦆はたとえば「漢字の〖岩〗⦅ガン、いわ⦆=意味符の{石}⦅セキ、いし⦆+意味符かつ発音符の{山}⦅サン、やま⦆」という形を取るものだがまたそれゆえにそれはひとえに会意かつ形声の漢字にこそぞ当たるものだ。
さてところでそのような漢字系の文字の成り立ちの問題については世間1般ではたとえば中国の〈後漢〉⦅ゴカン⦆朝の〈許慎〉⦅キョ・シン⦆作の漢字の解説書の『説文解字』⦅セツモンカイジ⦆でも1通りさらっと触れられているように基本的にはたとえば「6書」⦅リクショ⦆などと呼ばれるような概念がかねてよりしばしばよく使われてきたものだがそのような漢字系の6書とはつまりはいかにもより具体的に言うならばたとえば「象形」⦅ショウケイ⦆、「指事」⦅シジ⦆、「形声」⦅ケイセイ⦆、「会意」⦅カイイ⦆、「転注」⦅テンチュウ⦆、「仮借」⦅カシャ⦆などと呼ばれるようなそのような漢字系の文字の成り立ちの問題についてのいわゆる6つの基本的な種類の基本的な分類にこそぞ当たるものだ。
しかしまたそのような漢字系の6書は今やもはやただ単にやたらと古いだけでそれほど大した価値はないものでありまたそれゆえに筆者としては本書ではそのような漢字系の文字の成り立ちの問題についてはひとえにそのような漢字系の6書のようなある種の盲目的な前例踏襲主義に基づいた分類よりかはむしろその本書のその前述のその独自の新たな基本的な分類のようなある種の合理的な改革進歩主義に基づいた分類のほうこそぞをいざより積極的に採用していくことにしよう。
さて筆者としてはこれまでにも見てきたようにそれらのありとあらゆる全てのもろもろの漢字たちの中でも特にその内のその図画の漢字こそぞをひとえに「最も」と言っても良いほどに極めて高く評価しているものだがしかしまたその1方でそのような図画の漢字についてはたとえば「そのような図画の漢字はまた別のたとえば仮借の漢字や形声の漢字などのその発音符としてかなりいいかげんに適当に使い回されたりするなどすることである種の大いなる迫害をしばしば受けてきたものだ」というのもまた事実だ。
たとえば図画の漢字の〖云〗⦅ウン、くも⦆は元々はひとえに雲のたとえば姿や形や様子などをある種の図画としてそのまま直接的に描いたものに当たるものだったものだがしかしまたその図画の漢字の〖云〗⦅ウン、くも⦆はその後に時が経つにつれてまた別の仮借の漢字の〖云〗⦅ウン、いう⦆としてもしばしば使われるようにもなってきたものでありそしてまたその結果としてまた別の仮借の漢字の〖云〗⦅ウン、いう⦆とも互いにしばしば混同されるようにもなってきたものだ。
さてそのようにしてその図画の漢字の〖云〗⦅ウン、くも⦆とその仮借の漢字の〖云〗⦅ウン、いう⦆が互いに重複してしまった場合いにはそれらのその図画の漢字の〖云〗⦅ウン、くも⦆とその仮借の漢字の〖云〗⦅ウン、いう⦆のその互いの重複をいざすっきりと解消するためにはその中でも特にその内のその図画の漢字の〖云〗⦅ウン、くも⦆のほうこそぞをたとえば「漢字の〖雲〗⦅ウン、くも⦆=意味符の{雨}⦅ウ、あめ⦆+意味符かつ発音符の{云}⦅ウン、くも⦆」などのようにたとえば漢字の〖雲〗⦅ウン、くも⦆などをいざ新たに作ることでたとえばその漢字の〖雲〗⦅ウン、くも⦆などとこそぞ互いに置き換えてしまうことなどもできればその中でも特にその内のその仮借の漢字の〖云〗⦅ウン、いう⦆のほうこそぞをたとえば「漢字の〖言云〗⦅ウン、いう⦆=意味符の{言}⦅ゲン、ゴン、いう⦆+発音符の{云}⦅ウン、くも⦆」などのようにたとえば漢字の〖言云〗⦅ウン、いう⦆などをいざ新たに作ることでたとえばその漢字の〖言云〗⦅ウン、いう⦆などとこそぞ互いに置き換えてしまうことなどもできるはずのものだが筆者としてはそのような場合いにはひとえにその中でも特にその内のその仮借の漢字の〖云〗⦅ウン、いう⦆のほうではなくむしろその中でも特にその内のその図画の漢字の〖云〗⦅ウン、くも⦆のほうこそぞをできるだけより優先的にある種の貴重な文化的な遺産としてこそぞいざしっかりと保護していくべきだと考えるものだ。
そしてまたそれとも互いに全く同じようなことはその他のもろもろの図画の漢字の場合いにもこれがはたして意外とちらほらと見受けられるものだがまたそれゆえにそこではいざ何となればそれらの見るも憐れにも零落してしまった図画の漢字たちのその復興こそぞをもくろむかの「図画の漢字の復興論」なるものが今やかくも極めて切実にも必要とされることにもなるわけなのだ!
(因みにたとえばかの現代〈日本〉語の動詞の単語の「言う」⦅いう⦆とも互いによく似たことを言いたい場合いにはそこではたとえばかの現代〈中国〉語の標準弁の方言では基本的にはたとえばかの動詞の単語の「説」⦅シュオ、言う⦆こそぞが最もよく使われるものでありそしてまたたとえばかの現代〈中国〉語の〈香港〉弁の方言では基本的にはたとえばかの動詞の単語の「講」⦅コン、言う⦆こそぞが最もよく使われるものだがまたそれゆえにたとえばかの現代〈日本〉語の動詞の単語の「言う」⦅いう⦆とも互いによく似たことを言いたい場合いにはそこではたとえばそれらの現代〈中国〉語の標準弁の方言や現代〈中国〉語の〈香港〉弁の方言などでは基本的にはたとえばその他のもろもろの動詞の単語たちの「言」⦅イェン、言う⦆、「言云」⦅ユゥン、言う⦆、「曰」⦅ユゥエ、言う⦆、「謂」⦅ウゥイ、言う⦆などはほとんど使われないものだ。)
また前述の形声の漢字の中でも特にその内のその1部の時としてたとえば「純発音符付加的な形声の漢字」などと呼ばれることもあるようなものはたとえばもし仮にこれまでにも見てきたようにたとえば「漢字=意味符+発音符」という形を取るものだったとしても時としてそのようにしてその意味符のその元の漢字に対してその発音符がいざ新たにちゃっかりと付加されることで本来であれば生じていてもおかしくはなかったであろうその意味符のその元の漢字からのそのある種の独自の意味の発展性が極めて乏しかったりすることなどもあったりするものだ。
たとえば漢字の〖璧〗⦅ヘキ、たま⦆はたとえば「漢字の〖璧〗⦅ヘキ、たま⦆=意味符の{玉}⦅ギョク、たま⦆+発音符の{辟}⦅ヘキ⦆」という形を取るものでありまたそれゆえにそれはひとえに形声の漢字にこそぞ当たるものだがその形声の漢字の〖璧〗⦅ヘキ、たま⦆は基本的にはその意味符の{玉}⦅ギョク、たま⦆のその元の漢字の〖玉〗⦅ギョク、たま⦆からのそのある種の独自の意味の発展性が極めて乏しいものでありまたそれゆえにそれはひとえに純発音符付加的な形声の漢字にこそぞ当たるものだ。
しかしまたその1方でたとえば漢字の〖臍〗⦅サイ、へそ⦆はたとえば「漢字の〖臍〗⦅サイ、へそ⦆=意味符の{月}(肉)⦅ニク、しし⦆+発音符の{斉}⦅セイ⦆」という形を取るものでありまたそれゆえにそれはひとえに形声の漢字にこそぞ当たるものだがその形声の漢字の〖臍〗⦅サイ、へそ⦆は基本的にはその意味符の{月}(肉)⦅ニク、しし⦆のその元の漢字の〖肉〗⦅ニク、しし⦆からのそのある種の独自の意味の発展性がけっしてそこまで極めて乏しくはないものでありまたそれゆえにそれはひとえに純発音符付加的な形声の漢字には当たらないものだ。
また前述の会意かつ形声の漢字とも互いに関係することだがいかにもそのような漢字系の文字の成り立ちの問題についてのいわゆる「より1般的な発音符有意味説」すなわち「時としてたとえば「右文有意味説」⦅ウブンユウイミセツ⦆などと呼ばれることもあるような・・・つまりはたとえば「そのような漢字系の文字の成り立ちの問題についてはひとえにその「意味符」=得てして「偏」⦅ヘン⦆=得てして「左文」⦅サブン⦆=得てして「その漢字のその向かって左側のほうにある部品」だけではなくむしろその「発音符」=得てして「旁り」⦅つくり⦆=得てして「右文」⦅ウブン⦆=得てして「その漢字のその向かって右側のほうにある部品」にもより1般的に何らかの特定の意味などがあるのではないか?」などと考えるような・・・ある種の学説上の立ち場」ははたして正しいものなのだろうか?
さて筆者としてはそのような漢字系の文字の成り立ちの問題についてはそれらの色色な種類の漢字たちの中でも特にその内のそのごくごく1部のたとえば前述の会意かつ形声の漢字などのようなものだけがそのようにしてひとえにその漢字のある種の第1の意味符だけには留まらずにむしろまたそれに加えてその漢字の発音符までをもまた同じくまるでその漢字のある種の第2の意味符のようにして使っているものだとこそぞ考えるものでありまたそれゆえにそこではそれらの色色な種類の漢字たちの中でも特にその内のその他のもろもろのたとえば前述の仮借の漢字や前述の形声の漢字などのようなものはその漢字の発音符をひとえにただ単にある種の素朴な発音符としてのみ使っているものに過ぎないものだとこそぞ考えるものだ。
さて世間1般では時としてたとえば「そのような漢字系は基本的には1つの文字系としてはある種の表意味主義的な傾向がかなり強いものなのだ!」などというようなことがしばしばまことしやかにささやかれていたりすることなどもあるものだがしかしまたその1方でそのような漢字系は実際にはともすればたとえば「ある種の準表発音文字の文字系」などと呼ばれてしまっても良いぐらいに基本的には1つ文字系としてはある種の表発音主義的な傾向がかなり強いものでありまたそれゆえにそこではたとえば「そのような漢字系の文字の成り立ちの問題についてはそれらの色色な種類の漢字たちのそれらの色色な種類の部品たちについてもまた同じく基本的にはそのようにして何らかの特定の意味などをやれ何でもかんでもやたらと無謀にも追い求め続けてしまったりするのはいかにもすこぶる大いに間違ったことなのだ!」とも考えれるものだ。
またそのような漢字系の文字の成り立ちの問題についてはそれらの色色な種類の漢字たちのそれらの色色な種類の部品たちについてのある種の体系的な理解の問題もまた同じくとても重要なことだ。
さてそれらの色色な種類の漢字たちのそれらの色色な種類の部品たちの中にはたとえばもし仮にその他のもろもろの漢字たちのその文字のその全体の内のその1部をいざしれっと何食わぬ顔で形成しているものとしてはわりかしよく見かけるものだったとしてもしかしまたその1方でそれ自体のその単体のものとしてはたとえば「それはいったいどのような発音や意味などを持っているものなのか?」ということがこれがはたしてまるきりわからないようなものなども・・・そうまるでたとえば「漢字の迷子の部品」であるかのようにして・・・しばしば折りに触れて見つかったりするものだがそのような漢字の迷子の部品のある種のそこかしこでの意図も予期もせぬ増長は基本的にはそれらの色色な種類の漢字たちのそれらの色色な種類の部品たちについてのある種の体系的な理解をともすればいかにも酷く阻害してしまいかねないものでありまたそれゆえに基本的にはあまり好ましくはないものだ。
たとえば漢字の〖亜〗⦅ア、しこ⦆はたとえば形声の漢字の〖悪〗⦅アク、わるい⦆や形声の漢字の〖唖〗⦅ア、おし⦆などのその発音符の{亜}⦅ア、しこ⦆としてもよく使われているものだがいかにもけっして少なくない数の1部の人たちにとってはもし仮にその他のもろもろの漢字たちのその文字のその全体の内のその1部をいざしれっと何食わぬ顔で形成しているものとしてはわりかしよく見かけるものだったとしてもしかしまたその1方でそれ自体のその単体のものとしてはたとえば「それはいったいどのような発音や意味などを持っているものなのか?」ということがこれがはたしてまるきりわからないようなものだがまたそれゆえにそれはそれらのけっして少なくない数の1部の人たちにとってはひとえに漢字の迷子の部品にこそぞ当たるものだと考えれるものだ。
またそのような漢字系の文字の成り立ちの問題についてはそれらの色色な種類の漢字たちのそれらの色色な種類の部品たちについてのある種の体系的な整備の問題もまた同じくとても重要なことだ。
さてそれらの色色な種類の漢字たちのそれらの色色な種類の部品たちの中にはたとえば本来であれば互いに同一の実体のものだと見なせるものであるにも関わらず実際にはまるで互いに別個の実体のものであるかのようにしてついついうっかりと取り扱われてしまっているようなものなども・・・そうまるでたとえば「漢字の不揃いの部品」であるかのようにして・・・因みにこれはたとえばかの現代〈日本〉語の中でこそぞよく使われているかの新字体の意匠を持った漢字の場合いにこそぞより顕著なことだが・・・しばしば折りに触れて見つかったりするものだがそのような漢字の不揃いの部品のある種のそこかしこでの意図も予期もせぬ増長は基本的にはそれらの色色な種類の漢字たちのそれらの色色な種類の部品たちについてのある種の体系的な整備をともすればいかにも酷く阻害してしまいかねないものでありまたそれゆえに基本的にはあまり好ましくはないものだ。
たとえばかの新字体の意匠を持った漢字の〖仏〗⦅フツ、ブツ、ほとけ⦆とかの新字体の意匠を持った漢字の〖沸〗⦅フツ、わく、わかす⦆はそれぞれに互いに独自の発音符の{厶}⦅フツ、のる⦆や{弗}⦅フツ、のる⦆などを持っているものだがそもそも元はと言えばそのかの新字体の意匠を持った漢字の〖仏〗⦅フツ、ブツ、ほとけ⦆に対する所のかの旧字体の意匠を持った漢字の〖佛〗⦅フツ、ブツ、ほとけ⦆とそのかの新字体の意匠を持った漢字の〖沸〗⦅フツ、わく、わかす⦆に対する所のかの旧字体の意匠を持った漢字の〖沸〗⦅フツ、わく、わかす⦆はどちらも共に互いに共通の発音符の{弗}⦅フツ、のる⦆を持っていたものでありまたそれゆえにそれらの2つの漢字の部品はもし仮にそのことをいざ考慮に入れるとするならばひとえに漢字の不揃いの部品にこそぞ当たるものだと考えれるものだ。
さてそのような漢字系にはそれはそれはもう極めて数多くの色色な種類の文字たちすなわち色色な種類の漢字たちが属しているものだがそのような漢字系のそれらの色色な種類の漢字たちについてはその実用上の面でも基本的にはたとえば互いに同系統のものは互いにいっしょにまとめて取り扱っていって互いに異系統のものは互いにばらばらに分けて取り扱っていくのがいかにも何かと好ましいものだろう。
まずそのような漢字系のそれらの色色な種類の漢字たちはたとえば互いに共通の発音符を持っている場合いには基本的にはひとえに互いに同系統のものだと見なせるものでありまたたとえば互いに共通の発音符を持ってはいない場合いには基本的にはひとえに互いに異系統のものだと見なせるものだ。
たとえば漢字の〖紅〗⦅コウ、べに⦆と漢字の〖項〗⦅コウ、うなじ⦆はどちらも共に互いに共通の発音符の{工}⦅コウ、ク、いじる、いろう⦆を持っているものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえに互いに同系統のものだと見なせるものだ。
またたとえば漢字の〖批〗⦅ヒ、はる、はたく⦆と漢字の〖庇〗⦅ヒ、かばう⦆はどちらも共に互いに共通の発音符の{比}⦅ヒ、くらべる⦆を持っているものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえに互いに同系統のものだと見なせるものだ。
またたとえば漢字の〖桃〗⦅トウ、もも⦆と漢字の〖逃〗⦅トウ、にげる、にがす⦆はどちらも共に互いに共通の発音符の{兆}⦅チョウ⦆を持っているものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえに互いに同系統のものだと見なせるものだ。
またそのような漢字系のそれらの色色な種類の漢字たちはたとえば互いに共通の意味符を持っている場合いには基本的にはひとえに互いに同系統のものだと見なせるものでありまたたとえば互いに共通の意味符を持ってはいない場合いには基本的にはひとえに互いに異系統のものだと見なせるものだ。
たとえば漢字の〖城〗⦅ジョウ、しろ⦆と漢字の〖堤〗⦅テイ、つつみ⦆はどちらも共に互いに共通の意味符の{土}⦅ド、つち⦆を持っているものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえに互いに同系統のものだと見なせるものだ。
またたとえば漢字の〖窪〗⦅ワ、くぼ⦆と漢字の〖窓〗⦅ソウ、まど⦆はどちらも共に互いに共通の意味符の{穴}⦅ケツ、あな⦆を持っているものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえに互いに同系統のものだと見なせるものだ。
またたとえば漢字の〖席〗⦅セキ、むしろ⦆と漢字の〖幣〗⦅ヘイ、ぬさ⦆はどちらも共に互いに共通の意味符の{巾}⦅キン、きぬ⦆を持っているものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえに互いに同系統のものだと見なせるものだ。
またそのような漢字系のそれらの色色な種類の漢字たちはたとえばもし仮に互いに共通のたとえば発音符や意味符などの部品を持ってはいなかったとしてもその発音もその意味もどちらも共に互いに似ている場合いには基本的にはひとえに互いに同系統のものだと見なせるものでありまたたとえばひとえに互いに共通のたとえば発音符や意味符などの部品を持ってはいないだけには留まらずにむしろまたそれに加えてそれらのその発音とその意味の中でも特にその内のそのどちらか1つだけでも互いに似てはいない場合いには基本的にはひとえに互いに異系統のものだと見なせるものだ。
さて世間1般では時としてたとえば「そのような漢字についてはその文字のほうこそぞがその発音のほうこそぞを持っているものなのだ!」などとそうともすればついついうっかりと主張されてしまいがちな所があるものだが人間の言語では基本的にはひとえに「音声を使って話される音声言語は常に必ずや文字を使って書かれる文字言語に対してはより優先するものだ」ということがあるものでありまたそれゆえにそこでは実際にはたとえば「そのような漢字についてはその発音のほうこそぞがその文字のほうこそぞを持っているものなのだ!」などとそうしかるべくより正しみを期して主張しておくのがより好ましいものだとも考えれるものだ。
そしてまたもし仮にそうであるならばそこではたとえば「そのような漢字系のそれらの色色な種類の漢字たちはたとえばもし仮に互いに共通のたとえば発音符や意味符などの部品を持ってはいなかったとしてもその発音もその意味もどちらも共に互いに似ている場合いには基本的にはひとえにそのような人間のある種の音声を使って話される音声言語の次元を通じてこそぞ実はその裏では互いにこっそりと繋がっているものだ」ということにもなるものでありまたそれゆえにそこではつまりは結局の所は「そのような漢字系のそれらの色色な種類の漢字たちはたとえばもし仮に互いに共通のたとえば発音符や意味符などの部品を持ってはいなかったとしてもその発音もその意味もどちらも共に互いに似ている場合いには基本的にはひとえに互いに同系統のものだと見なせるものだ」ということにもなるものなわけなのだ!
たとえば漢字の〖青〗⦅セイ、ジョウ、あお⦆と漢字の〖蒼〗⦅ソウ、あお⦆はたとえばもし仮に互いに共通のたとえば発音符や意味符などの部品を持ってはいなかったとしてもその発音もその意味もどちらも共に互いに似ているものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえに互いに同系統のものだと見なせるものだ。
またたとえば漢字の〖忽〗⦅コツ、にわかな、ゆくりかな⦆と漢字の〖突〗⦅トツ、にわかな、ゆくりかな⦆はたとえばもし仮に互いに共通のたとえば発音符や意味符などの部品を持ってはいなかったとしてもその発音もその意味もどちらも共に互いに似ているものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえに互いに同系統のものだと見なせるものだ。
またたとえば漢字の〖略〗⦅リャク、はぶく⦆と漢字の〖約〗⦅ヤク、はぶく⦆はたとえばもし仮に互いに共通のたとえば発音符や意味符などの部品を持ってはいなかったとしてもその発音もその意味もどちらも共に互いに似ているものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえに互いに同系統のものだと見なせるものだ。
さてそのような漢字系についてはたとえばまず第1にはその文字の意匠がとても変幻自在なものでありそしてまた第2にはその文字の成り立ちがとても複雑奇怪なものであることからたとえば「そもそもいったいどの文字とどの文字が互いに同実体のものでありまたそもそもいったいどの文字とどの文字が互いに異実体のものでありまたそもそもその文字の意匠やその文字の成り立ちなどはいったいどのようなものであるべきなのか?」ということをいざきちんと正しく決定することからしてそれなりに多大なる手間やら労力やらがいかにも何かと掛かってしまうものだがまたそれゆえにそこでは時として時としてたとえば「漢字系の文字の実体の決定と整理」などと呼ばれることもあるようなある種の専門的な作業がいざ大いに必要になってしまうことなどもあるものだ。
(因みにそのような漢字系の文字の実体の決定と整理・・・いかにも強いて言えばその中でも特にその内のその漢字系の文字の実体の決定・・・は時としてたとえば「漢字の隷定」⦅カンジのレイテイ⦆などと呼ばれることもあるものだ。)
まずそのような漢字系のそれらの色色な種類の漢字たちについてはたとえば互いに同実体のものは全て1つの文字としていざ潔く統一されてしまってしかるべきものだがそのような漢字系の文字の実体の統一は時としてたとえば「漢字の合文字化」などと呼ばれることもあるものだ。
たとえば漢字の〖記〗⦅キ、しるす⦆と漢字の〖紀〗⦅キ、しるす⦆は基本的には互いに同実体のものだと考えれるものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえに全て1つの文字としていざ潔く統一されてしまってしかるべきものだ。
またたとえば漢字の〖囲〗⦅イ、エイ、かこむ、かこう⦆と漢字の〖衛〗⦅イ、エイ、かこむ、かこう⦆は基本的には互いに同実体のものだと考えれるものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえに全て1つの文字としていざ潔く統一されてしまってしかるべきものだ。
またたとえば漢字の〖杖〗⦅ショウ、ジョウ、つえ、つく、つかえる⦆と漢字の〖障〗⦅ショウ、ジョウ、つえ、つく、つかえる⦆は基本的には互いに同実体のものだと考えれるものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえに全て1つの文字としていざ潔く統一されてしまってしかるべきものだ。
またそのような漢字系のそれらの色色な種類の漢字たちについてはたとえば互いに異実体のものはそれぞれに1つの文字としていざ潔く分割されてしまってしかるべきものだがそのような漢字系の文字の実体の分割は時としてたとえば「漢字の分文字化」などと呼ばれることもあるものだ。
たとえば漢字の〖原〗⦅ゲン、ガン、もと⦆と漢字の〖塬〗⦅ゲン、ガン、はら⦆は基本的には互いに異実体のものだと考えれるものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえにそれぞれに1つの文字としていざ潔く分割されてしまってしかるべきものだ。
またたとえば漢字の〖白〗⦅ハク、しろ、しろい⦆と漢字の〖言白〗⦅ハク、もうす⦆は基本的には互いに異実体のものだと考えれるものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえにそれぞれに1つの文字としていざ潔く分割されてしまってしかるべきものだ。
またたとえば漢字の〖澄〗⦅トウ、すむ、すます、すく、すける、すかす⦆と漢字の〖氵秀〗⦅トウ、しみる、しめる、します⦆は基本的には互いに異実体のものだと考えれるものだがまたそれゆえにそれらの2つの漢字はひとえにそれぞれに1つの文字としていざ潔く分割されてしまってしかるべきものだ。
そしてまたそのような漢字系の文字の実体はそのようにしていざしっかりと決定されたり整理されたりしたあかつきにはたとえば「法律の不遡及の原則」・・・つまりはたとえば「もし仮にとある過去の事件についてあれこれと法律に基づいて審理することになったとしてもその時にはそこではそのとある過去の事件ことをたとえばそのとある過去の事件のその後に新しく作られた法律などに基づいて何でもかんでも自分勝手に遡及的にいわゆる後出しじゃんけん風に審理してはならない」とするような法律の運用上の原則・・・などとは互いに打って変わってたとえば「漢字系の文字の実体の遡及の原則」にこそぞいざしっかりと習って基本的にはその過去の全ての事例のものに対していかにもつぎつぎと問答無用で遡及的に適用されていってしかるべきものだ。もちろんそのような漢字系の文字すなわち漢字の中でも特にその内のそのたとえば古文書の中で使われているものなどについては場合いによってはたとえば影印本などのようにたとえば誤字や脱字なども含めて1字1句正確無比に再現しておいたほうが良いことなども実際問題としてあるにはあることだろうがしかしまたその1方でそのような漢字系の文字すなわち漢字の中でも特にその内のその他のもろもろの1般の通常の文書の中で使われているものなどについては基本的にはそのような「漢字系の文字の実体の遡及の原則」こそぞをいかにもつぎつぎと問答無用で遡及的に適用していったほうが良いことのほうがいくらどこをどう考えてみても極めて圧倒的に多いことだろう。
たとえば古典〈中国〉語の思想書の『論語』⦅ロンゴ⦆の1節の「学而時習之、不亦説乎?」⦅まなびてときにこれをならう、またよろこばしからずや?⦆はたとえばそのような「漢字系の文字の実体の遡及の原則」にこそぞいざしっかりと習ってその漢字の〖説〗⦅セツ、言う⦆の実体に対してはまた別の漢字の〖悦〗⦅エツ、うれしい、よろこぶ⦆の実体こそぞをいかにもつぎつぎと問答無用で遡及的に適用することでたとえば「学而時習之、不亦悦乎?」⦅まなびてときにこれをならう、またよろこばしからずや?⦆などと書かれると良いものだ。
かな文字は1言で言えば〈日本〉語の音素や音節などを表す表音文字のことだがより具体的に言うといわゆる万葉がな⦅マンヨウがな⦆、ひらがな、カタカナなどの3つの文字系に当たるもののことだ。
万葉がなは日本でかつてよく使われた〈日本〉語の音素や音節などを表すための表音文字の1種でありかな文字の1種だがその中でも特に前述の漢字の本使いの音写文字の漢字に当たるもののことだ。
たとえば「宇」⦅ウ⦆+「利」⦅リ⦆=「宇利」⦅ウ・リ⦆という漢字は〈日本〉語の「瓜」⦅うり⦆という言葉を表すために使われる万葉がなだ。
この万葉がなは西洋暦の紀元後750年頃に編纂された〈和〉歌集の『万葉集』⦅マンヨウシュウ⦆を中心としてたとえば神話歴史書の『古事記』⦅コジキ⦆や神話歴史書の『日本書紀』⦅ニホンショキ⦆や石碑の『薬師寺の仏足跡の石碑』⦅ヤクシジのブッソクセキのセキヒ⦆や辞書の『和名類聚抄』⦅ワミョウルイジュウショウ⦆などのようなその他のもろもろの文献や資料などでもちょくちょくと折りに触れて使われたものだがその「万葉がな」という名称はひとえにその〈和〉歌集の『万葉集』⦅マンヨウシュウ⦆に大いにあやかって付けられたものだ。ただしその〈和〉歌集の『万葉集』⦅マンヨウシュウ⦆そのものはこの万葉がなだけではなくその他の漢字の本使いや訓使いなどの用法もかなり色色と混ぜ合わせてかなり色色と複雑な形で書かれているものなのでその点についてはよくよく注意が必要だ。
ひらがなは〈日本〉語の音素や音節などを表すための表音文字の1種でありかな文字の1種だがその中でも特に前述の万葉がなの草書体から産み出されたもののことだ。
たとえば「も」というかな文字は〈日本〉語の/MO/という音素や音節などを表すために使われるひらがなだが万葉がなの「毛」⦅モ⦆の草書体から産み出されたものだ。
このひらがなはかつては日記、手紙、〈和〉歌、小説、随筆などを中心として特に女性を中心としてよく使われたかな文字だった。
カタカナは〈日本〉語の音素や音節などを表すための表音文字の1種でありかな文字の1種だがその中でも特に前述の万葉がなの省略体から産み出されたもののことだ。
たとえば「ヒ」というかな文字は〈日本〉語の/HI/という音素や音節などを表すために使われるカタカナだが万葉がなの「比」⦅ヒ⦆の省略体から産み出されたものだ。
このカタカナはかつては仏教の経典、思想書、哲学書、辞書、公文書などを中心として特に男性を中心としてよく使われたかな文字だった。
さてひらがなやカタカナはかな文字の1覧表としては通常は互いに同じ母音ごとに1列に並ぶようにきれいに整理されつつもまたそれに加えて互いに同じ子音ごとにも1列に並ぶようにきれいに整理されたXとYの2次元の行列や行段などのようにして書かれることが多いがそのようなかな文字の1覧表はその全体の文字の大体の数から1般には「50文字図」や「50音図」などと呼ばれることが多い。
またそのような50文字図とも互いに双璧を成すものとしてはたとえば「い、イ」、「ろ、ロ」、「は、ハ」、「に、ニ」、「ほ、ホ」、「へ、ヘ」、「と、ト」・・・というようにそのかな文字がその先頭から1つ1つ順番にいわゆる「イロハ順」で並んでいくようなまた別のかな文字の1覧表もかつてはよく使われていた。
さてところでそのような50文字図ではその内の子音の順番としては通常は/Ø/、/K/、/S/、/T/、/N/、/H/、/M/、/Y/、/R/、/W/が使われることが多いがこれは基本的にはサンスクリット語の音声学の影響を大いに受けたことによるものだと考えれるものだ。しかしまた〈日本〉語そのものの音声学の視点から見るとそのような50文字図でのその特定のある種の固定観念に囚われたかのような子音の順番には特に大した合理性はないと考えれるので本書ではそのような50文字図ではその内の子音の順番としては/Ø/、/K/、/S/、/T/、/H/、/N/、/M/、/R/、/Y/、/W/こそを筆者の独断に基づいてより積極的に推奨して使っていくことにする。
(ここでは/Ø/は音節首頭子音の不在を表す。また人によってはその音節首頭子音の不在を表すものとしてはその/Ø/の代わりに/○/⦅白丸⦆や/Φ/⦅ファイ⦆などを使うこともある。)
またかな文字系では1般に長音記号と呼ばれるものが認められているが筆者としてはいざここで改めてひらがなの長音記号とは波線の「~」でありカタカナの長音記号とは棒線の「ー」であるという事実を極めて明確に主張しておきたい。これはひらがなはある種の丸みを帯びた字体を持っておりカタカナはある種のまっすぐみを帯びた字体を持っているという事実にかんがみればごくごく当たり前のように自然と導き出される結論であり世間1般の民間の次元でもそのようなひらがなの長音記号の「~」とカタカナの長音記号の「ー」の互いの使い分けはごくごく当たり前のように自然と行なわれている習慣だが筆者としてはなぜかそのようなひらがなの長音記号の「~」とカタカナの長音記号の「ー」の互いの使い分けの事実をいざ真正面を切って声高らかに主張するような言説はあまり見掛けたことがないような気がするのでしかるべくいざここで改めてきちんと確認しておきたかった次第だ。
さて世間1般ではかな文字系は時として今のままの何らの変更も加えないあるがままの状態で1つの完全体の文字系としてかくも見事に成立しているとともすれば考えられがちだが実際にはそのようなかな文字系にはまだまだ大いに拡張の余地があると考えれるものだ。
たとえば〈日本〉語ではア行の/E/という音節とヤ行の/YE/という音節はその〈日本〉語の色色と迂余曲折に満ちた歴史の上では音素論的にも正書法的にも互いに区別されたり互いに区別されなかったりしてきたが現代〈日本〉語ではそのア行の/E/という音節は〖え、エ〗と書かれることが多くそのヤ行の/YE/という音節は〖いぇ、イェ〗と書かれることが多い。しかしまたそのような〈日本〉語のヤ行の音節の表記についてはその〖いぇ、イェ〗のような小文字のかな文字の〖ぇ、ェ〗を使った表記はたとえばその他の〖や、ヤ〗⦅×〖いぁ、イァ〗⦆、〖ゆ、ユ〗⦅×〖いぅ、イゥ〗⦆、〖よ、ヨ〗⦅×〖いぉ、イォ〗⦆などのような小文字のかな文字の〖ぁ、ァ〗、〖ぅ、ゥ〗、〖ぉ、ォ〗などをいっさい使わない表記と比べると本来はまるで1貫性のない妥協の産物のようなものでありとてもおかしなものだ。もし仮に何らかの理由でかな文字がその必要に対して足りていないのならばある種の伝統的な由緒や情緒などに満ち溢れた万葉がななりその他の適当な漢字なりを元にして新しいかな文字をいっそ新たに作ってしまえば良いではないか!
たとえば〈日本〉語のア行の/E/という音節は漢字の「衣」を元にしたひらがなの〖え〗や漢字の「衣」を元にしたカタカナの〖エ〗などとして書かれるべきものだ。
またたとえば〈日本〉語のヤ行の/YE/という音節は漢字の「延」を元にしたひらがなの〖延〗⦅その上半分を「い」にしてその下半分を「こ」の下側にしたもの、もしくは「り」の右半分を「ん」に変えたもの⦆や漢字の「要」を元にしたカタカナの〖要〗⦅エの縦棒を2本にしたもの⦆などとして書かれるべきものだ。
またその他にも〈日本〉語ではワ行の/WO/という音節を表すために使われるカタカナの〖ヲ〗はたとえばその内の「フ」を先に書いてその後にその内の「ー」を書くとその筆運びの流れがとても悪くなるがかといってその内の「ニ」を先に書いてその後にその内の「ノ」を書くと2本の棒に対して1本の棒を合わせて書くというとんでもない離れ業を要求されることになるがそれはとてもじゃないが不可能なことである!というようにある種のとても書きにくい欠陥文字だがまたそれゆえにいっそ新たに作り直されると良いだろう。またそれと同じようにして〈日本〉語ではその他のワ行の/WI/や/WE/などの音節を表すために使われる〖ゐ、ヰ〗、〖ゑ、ヱ〗などのかな文字もその画数がやたらと多かったりその審美性がいまいちぱっとしなかったりする欠陥文字だがまたそれゆえにいっそ新たに作り直されると良いだろう。
(筆者の個人的な感覚としてはその中でも特にひらがなの〖ゐ〗だけはまだましでそれほど大きな問題はないようにも思えるがたとえば「カタカナの〖ヰ〗は4画もあってしかも書きにくい!」、「ひらがなの〖ゑ〗はひらがなの〖る〗の偽物みたいでこんなの絶対に嫌だ!」→「〖♡〗⦅「ゑ」の下側の部分だけを取って「♡」の左下の部分が欠けたようなもの⦆のほうがまだ良い!」、「カタカナの〖ヱ〗はカタカナの〖エ〗との互いの差異が小さすぎる!」などの点が特に大きな問題であるように思える。)
またその他にもそれらの〈日本〉語の色色な種類の音節の中でも特に新しいかな文字が何かしらどうにかしらして当てられるべきものとしては特に〈日本〉語の欧米語由来の言葉や〈日本〉語の琉球弁の方言などでよく使われるタ行、ダ行の/ΘI/⦅ティ⦆、/ЩI/⦅ディ⦆という音節、タ行、ダ行の/ΘU/⦅トゥ⦆、/ЩU/⦅ドゥ⦆という音節などが挙げれる。
またその他にもたとえば小文字のかな文字を使って子音の音素のみを表したり濁点付きの「ラ゛リ゛ル゛レ゛ロ゛」を使って〈フランス〉語の/R/の音素を表したり清丸付きの「タ゜゜チ゜゜ツ゜゜テ゜゜ト゜゜」を使って「有気音の子音の音素+母音の音素」を表したり長母音記号付きの「マ^ミ^ム^メ^モ^」を使って〈日本〉語の長音、非長音とはまた別の外国語の長母音の音素、特に印欧語の長母音の音素を表したりできるようにするためにもたとえば小文字のかな文字、濁点付きのかな文字、清丸付きのかな文字、長母音記号付きのかな文字などはただ単に現状のように1部のかな文字に対していかにもちまちまと倹約的に用意されるのではなくむしろ全てのかな文字に対してきちんとじゃぶじゃぶと潤沢に用意されると良いだろう。なぜならもし仮にそうなればたとえば〈日本〉語の特に1部の琉球弁や津軽弁などの方言やアイヌ語、〈中国〉語、韓国語、〈英〉語、〈フランス〉語、ドイツ語、ラテン語、ギリシャ語、サンスクリット語などを始めとした色色な種類の言語などはひとえにそれらのかな文字を使ってより正確に表記しやすくなるだろうしそしてまたいよいよそのような夢のような世界が晴れて到来したあかつきにはそれらの色色な種類の言語やら方言やらの学習や教育などの面でも何かと多大なる生産性の向上が充分に見込めると考えれるからだ。
さてこのローマ字と呼ばれる文字は表音文字の1種であり日本では主に外国人向けに〈日本〉語の音素を表すために使われるものだがたとえば前述のひらがなやカタカナなどの基本的には表音節文字であるかな文字と比べると基本的には表音素文字でありまたそれゆえに〈日本〉語の1つ1つの母音や子音などの音素をそれぞれに個別に表せるというのが1つの大きな利点だ。
たとえば「E」⦅イー⦆というローマ字は〈日本〉語の/E/という母音の音素を表すために使われる表音素文字だ。
またたとえば「S」⦅エス⦆というローマ字は〈日本〉語の/S/という子音の音素を表すために使われる表音素文字だ。
このローマ字は時としてラテン文字と呼ばれることもあるが元々はイタリアの都市ローマを首都として最盛期には地中海の周辺1帯を西欧州、ギリシャ、トルコ、中東、北アフリカと順番に全て支配下に入れるほど強大に栄えたローマ帝国でまず始めに使われ始めた文字だった。このローマ字は日本には西洋暦の紀元後1550年頃にポルトガル人やスペイン人などのキリスト教の宣教師たちによって伝えられたものだ。このローマ字は現代でも欧米を中心として世界の色色な国々や地域などでそれなりによく使われているものだがそのような現代の今を時めく最先端のローマ字はかのかつての偉大なるローマ帝国の時代に実際に使われていたローマ字と比べるとたとえば「U」⦅ユー⦆と「V」⦅ヴイ⦆と「W」⦅ダブル・ユー=ダブリュー⦆が新たに互いに区別されるようになったなど色色と細かな所で互いに微妙に異なっている点もある。
さて〈日本〉語の正書法でよく使われる「数字」⦅スウジ、Number、ナンバー⦆すなわち「数を表す文字」としてはたとえば漢数字、ローマ数字、算用数字などが挙げれることになる。
漢数字とはたとえば「一」⦅ひと、イチ⦆、「二」⦅ふた、ニ⦆、「三」⦅み、サン⦆・・・などのように古代の中国で発達した数字のことだ。
ローマ数字とはたとえば「Ⅰ」⦅ひと、イチ⦆、「Ⅱ」⦅ふた、ニ⦆、「Ⅲ」⦅み、サン⦆・・・などのように古代のローマ帝国で発達した数字のことだ。
算用数字とはたとえば「1」⦅ひと、イチ⦆、「2」⦅ふた、ニ⦆、「3」⦅み、サン⦆・・・などのように計算上の表記として発達した数字のことだ。