さてところでかの〈日本〉語にはひとえに「ハナから」という言葉がありますがその〈日本〉語の「ハナから」という言葉のその「ハナ」の部分には1説によるとかの〈韓国〉語の「하나」⦅ハナ、1つ⦆という言葉そのものであるとする説があるのを読者の皆様はご存じでしょうか?
さて「そのあらましは?」というとかの〈韓国〉語ではかの〈日本〉語の「1つ」⦅ひとつ⦆、「2つ」⦅ふたつ⦆、「3つ」⦅みっつ⦆などのことをたとえば「하나」⦅ハナ、1つ⦆、「둘」⦅トゥル、2つ⦆、「셋」⦅セッ、3つ⦆などのように数えていくのですがそのような「ハナ」≒「하나」⦅ハナ、1つ⦆説によるとその〈日本〉語の「ハナから」という言葉はたとえば「1つから」⦅ひとつから⦆などのような意味を持っているものなのだ!とされます。
筆者からするとそのような「ハナから」≒「하나から」⦅ハナから、1つから⦆説はただの1顧だにすら値しないようなある種のばかばかしい根拠薄弱な痴説に過ぎないものなのですが今回はいちおうそのような「ハナから」≒「하나から」⦅ハナから、1つから⦆説について考えてみることにしましょう。
まず考えるべきなのはかの〈日本〉の〈奈良〉時代から〈明治〉時代ぐらいまでの間にかの〈日本〉語の中にかの〈韓国〉語の何かしらの言葉が取り入れられたような形跡はほとんど見られないということです。これは考えてみればごくごく当たりまえの話しです。なぜならかの〈日本〉人たちの中でかの〈韓国〉語を勉強して理解していた人間などというものはごくごく少数の人たちを除いてはほとんどいなかったからです。かの〈日本〉人たちはかの〈韓国〉語などというものにはほとんど興味がなかったのでかの〈韓国〉語などというものについてはその概要すらほとんど知らなかったですしまたそれゆえにかの〈日本〉語の中にかの〈韓国〉語の何かしらの言葉が取り入れられるような土壌などというものはそもそもまるでなかったわけです。
さてその〈日本〉語の「ハナから」という言葉はここではもったいぶらずにもう先に結論から言ってしまうと基本的にはかの〈日本〉語の「始めから」⦅はじめから⦆という言葉を使ってそのままごくごく普通に解釈できますしまたそれゆえに「ハナ」とはすなわち「始め」⦅はじめ⦆のことです。
さてそこでは子音の音素の/N/と/Z/のその互いの交替が容易に推定されますがまたそれゆえにかの〈日本〉語の「始まる」⦅はじまる⦆や「始める」⦅はじめる⦆などの言葉は場合いによってはたとえば「(*)始まる」⦅はにまる⦆や「(*)始める」⦅はにめる⦆や「(*)始まる」⦅はなまる⦆や「(*)始める」⦅はなめる⦆などのようなものだったとしてもけっしておかしくはなかったものだとも考えれるものです。
またその〈日本〉語の「ハナから」という言葉のその「ハナ」の部分はそれらの〈日本〉語の「始まる」⦅はじまる⦆や「始める」⦅はじめる⦆などの言葉のその「始」⦅はじ⦆の部分とも互いに同根のものである以上はもし仮にかの〈漢〉文字を使って書くとするならば基本的にはそっくりそのままたとえば「始」⦅はな⦆などのように書かれてしまうと良いものだと考えれるものです。
ちょうど「始から」⦅はなから⦆≒「始めから」⦅はじめから⦆などのようにです。
因みに逆にかの〈韓国〉語ではそのような「始から」⦅はなから⦆≒「始めから」⦅はじめから⦆はひとえに「처음」⦅チョウム、始、始め⦆+「부터」⦅プト、から⦆で「처음부터」⦅チョウム・プト、始から、始めから⦆と言います。
「こんな無謀な計画、始からうまく行くわけがなかったんだ!」≒「こんな無謀な計画、始めからうまく行くわけがなかったんだ!」≒「こんな無謀な計画、チョウム・プトうまく行くわけがなかったんだ!」
≠
「(?)こんな無謀な計画、1つからうまく行くわけがなかったんだ!」≒「(?)こんな無謀な計画、ハナ・プトうまく行くわけがなかったんだ!」