さてところでかの〈日本〉の国政の場では伝統的に政治家の力が弱く官僚の力が強いなどとよく言われてきました。「選挙の洗礼を受けていない官僚たちがその事務処理能力の高さや人的な連携網の濃さなどを使ってちょろい政治家たちを巧みに操って国政を支配してきた」というような考え方です。しかしまたそれに対して「近年ではこれを是正するために首相官邸が国政の主導権を握れるような改革が推し進められてきた」というような考え方もあります。
さてそれはさておきそれらの官僚たちやまた引いてはもっと1般的な役人たちや公務員たちは時としてたとえば「官吏」⦅カンリ⦆などと呼ばれたりすることがあります。
その「官吏」⦅カンリ⦆という言葉はかの現代〈日本〉語ではそれほどよく使われる言葉ではありませんがたとえばかの〈ロシア〉人の小説家の〈ドストエフスキー〉の小説の《罪と罰》⦅つみとバツ⦆の古い〈日本〉語訳の中でも使われたりしているものです。
〈米川正夫〉訳より引用
話を聞いていたものも、聞いていなかったものも、ただ退職官吏のていたらくを見たばかりで、笑いながら悪態をつくのであった。
さてところで国家から外国に派遣される国家の代理人の中でも最高位の人は時としてたとえば「大使」⦅タイシ⦆などと呼ばれたりすることがあります。
そしてまたその「大使」⦅タイシ⦆の下には得てして何人かの「領事」⦅リョウジ⦆がいたりするものです。
またその「大使」⦅タイシ⦆は得てして大使館に勤務したりするものでありその「領事」⦅リョウジ⦆は得てして領事館に勤務したりするものです。
さてところで今、着目してほしいのはそれらの「官吏」⦅カンリ⦆や「大使」⦅タイシ⦆や「領事」⦅リョウジ⦆などのその「吏」⦅リ⦆や「使」⦅シ⦆や「事」⦅ジ⦆などの部分です。
それらの「吏」⦅リ⦆や「使」⦅シ⦆や「事」⦅ジ⦆などは何かぱっと見た感じにも互いに似ているようには見えませんか?
はいその通りです。
なぜならそれらの「吏」⦅リ⦆や「使」⦅シ⦆や「事」⦅ジ⦆などは互いにほぼ異体字と言っても良いぐらいに互いに同根のものだからです。
それらの「吏」⦅リ⦆や「使」⦅シ⦆や「事」⦅ジ⦆などはその文字文様としてはしばしば「又」⦅ユウ、ウ⦆≒「右手」⦅みぎて⦆で何かを持っている様子を表わしているものだなどと言われたりすることもあるものですがそれらの「吏」⦅リ⦆や「使」⦅シ⦆や「事」⦅ジ⦆などはその究極の起源はさておきその実質的な用法としては基本的にはどれも「○○に使かえるもの」⦅○○につかえるもの⦆≒「○○の召し使い」⦅○○のめしつかい⦆を表わしているものだと考えておいて問題のないものです。
その「使」⦅シ⦆はその「吏」⦅リ⦆に「亻」≒「人」⦅ひと⦆が付いたものですがその「亻」≒「人」⦅ひと⦆はただ単にある種のダメ押し的な保険的な装飾的な要素として人であることを明示するために付け加えられているだけの要素に過ぎないものであり別に必須の要素ではありません。
これはたとえば「荷物持ち」⦅にモツもち⦆がその「亻」≒「人」⦅ひと⦆がなくても「荷物を持つ人」⦅にモツをもつひと⦆を表わせることなどを考えてみてもすぐにわかることです。
ただしその「事」⦅ジ⦆はかの「事物」⦅ジブツ⦆や「事件」⦅ジケン⦆や「事象」⦅ジショウ⦆などの中に出てくるその「事」⦅ジ⦆とは互いにその毛色が違うものです。
ちょっと前に嫌〈韓〉が流行った時にはたとえば「〈韓国〉は〈中国〉に対して伝統的に事大主義的だった」などとよく言われましたがその「事大主義」⦅ジダイシュギ⦆とはすなわち「使大主義」⦅ジダイシュギ⦆でありすなわち「大国に使かえる主義」⦅タイコクにつかえるシュギ⦆ということです。
筆者としてはそれらの「吏」⦅リ⦆や「使」⦅シ⦆や「事」⦅ジ⦆などはもういっそのことその中でも1番画数の少ない文字文様の〘吏〙で互いに統一、合文字化してしまってすなわち「吏」⦅シ、ジ、リ⦆としてしまうのが良いと考えています。
またそれゆえにそれらの「官吏」⦅カンリ⦆や「大使」⦅タイシ⦆や「領事」⦅リョウジ⦆などはすなわち「官吏」⦅カンリ⦆や「大吏」⦅タイシ⦆や「領吏」⦅リョウジ⦆などでありすなわちそれぞれの役割りにおける「国家の召し吏い」⦅コッカのめしつかい⦆というわけです。