さてところでかの〈日本〉語にはたとえば「安堵する」⦅アンドする⦆という言葉がありその〈日本〉語の「安堵する」⦅アンドする⦆という言葉はたとえば「子どもの無事がわかって安堵した」⦅こどものブジがわかってアンドした⦆などのように使われるものですがその〈日本〉語の「安堵する」⦅アンドする⦆という言葉はいったいどういう意味の言葉でしょうか?
さてその〈日本〉語の「安堵する」⦅アンドする⦆という言葉はかの〈日本〉語の「安心する」⦅アンシンする⦆≒「安らかな心になる」⦅やすらかなこころになる⦆という言葉とも互いによく似ているものですがまたそれゆえにその「安堵する」⦅アンドする⦆の内のその「安」⦅アン⦆の部分についてはそれはひとえにおよそ「安らかな」⦅やすらかな⦆などのような意味を持っているものだとして良いものでしょう。
問題はその「安堵する」⦅アンドする⦆の内のその「堵」⦅ド⦆の部分です。
そこではその「安堵する」⦅アンドする⦆の内のその「堵」⦅ド⦆の部分はいったい何を意味しているものなのでしょうか?
さてまず第1にその「堵」⦅ド⦆は時としてかの「遮」⦅シャ⦆と互いに仮借、通用することがあるものであり時としてたとえば「遮る」⦅さえぎる⦆を意味することがあるものです。
そのような「堵」⦅ド⦆≒「遮」⦅シャ⦆≒「遮る」⦅さえぎる⦆はたとえば「その「堵」⦅ド⦆はそもそもかの〈漢〉文字の発音符の〘者〙⦅シャ⦆を使って表わされるものだ」という点も加味するとかなり硬いものです。
またそのような「堵」⦅ド⦆≒「遮」⦅シャ⦆≒「遮る」⦅さえぎる⦆はかの現代〈中国〉語でも極めてよく使われるものです。
ですが残念ながらここではそれは該当しません。
なぜなら(?)「安堵する」⦅アンドする⦆≒「安らかに遮る」⦅やすらかにさえぎる⦆は明らかに意味不明なものだからです。
さてその他にもその「堵」⦅ド⦆は時としてかの「住」⦅ジュウ⦆と互いに仮借、通用することがあるものであり時としてたとえば「住む」⦅すむ⦆を意味することがあるものです。
かの現代〈日本〉語ではたとえば「安住する」⦅アンジュウする⦆という言葉が使われるのが普通ですがその「安住する」⦅アンジュウする⦆はかつてはしばしばたとえば「安住する」⦅アンドする⦆などと読まれることがありその「安住する」⦅アンドする⦆はかつてはしばしばたとえば「安堵する」⦅アンドする⦆などと書かれることがありました。
ですが残念ながらここではそれもまた同じく該当しません。
なぜなら(?)「安堵する」⦅アンドする⦆≒「安らかに住む」⦅やすらかにすむ⦆は明らかに意味不明なものだからです。
因みに世間1般では時としてたとえば「城壁などで敵を遮るから安心して住めるんだ!」などというように上記の2つの事例をめちゃくちゃにごちゃ混ぜにしたような説明が成されることもありますがそれは完全な誤まりです。
さてここでもはや手詰まりかと思いきやところがどっこい今、筆者が満を持して新たに提唱したいのはひとえに「安堵する」⦅アンドする⦆≒「安吐する」⦅アンドする⦆≒「安らかにほっと息を吐く」⦅やすらかにほっといきをはく⦆説です。
なぜならこれならその「子どもの無事がわかって安堵した」⦅こどものブジがわかってアンドした⦆≒「子どもの無事がわかって安吐した」⦅こどものブジがわかってアンドした⦆もたとえば「子どもの無事がわかって安らかにほっと息を吐いた」⦅こどものブジがわかってやすらかにほっといきをはいた⦆などとしてもうもうはなはだはんぱなく意味明瞭なものだからです。
因みにかの〈日本〉語では「吐く」⦅はく⦆ことは時として「つく」ことだなどとも言われまたそれゆえに「ほっと息を吐く」⦅ほっといきをはく⦆≒「ほっと息をつく」⦅ほっといきをつく⦆です。