さてところでかの〈日本〉語にはたとえば「声が枯れる」⦅こえがかれる⦆という文句があったりしますがその「声が枯れる」⦅こえがかれる⦆とはすなわちいったいどういうことでしょうか?
その「声が枯れる」⦅こえがかれる⦆とはすなわちひとえに「声がからからになる」⦅こえがからからになる⦆ということでしょうか?
さてまず考えたいのはその「からから」の部分には1つにはたとえば「乾いたような」⦅かわいたような⦆などのような意味があるということです。
またそれゆえにたとえば「喉がからからになる」⦅のどがからからになる⦆とはすなわちひとえに「喉が乾く」⦅のどがかわく⦆ということを意味しているものだと考えれるものです。
またたとえば「空気がからっとしている」⦅クウキがからっとしている⦆などもまた同じくひとえに「空気が乾いている」⦅クウキがかわいている⦆ということを意味しているものだと考えれるものです。
さてではその「声が枯れる」⦅こえがかれる⦆とはすなわちひとえに「声がからからになる」⦅こえがからからになる⦆ということでありすなわちひとえに「声が乾く」⦅こえがかわく⦆ということでしょうか?
いいえそれは残念ながら違います。
なぜなら人間は喉は乾いても声は乾かないものだからです。
さてでは人間の声はいったいどうなることがあるものでしょうか?
人間の声はずばりひとえに「嗄嗄になる」⦅がらがらになる⦆ことがあるものです。
そしてまたそれゆえにごくごく普通に考えればその「声が枯れる」⦅こえがかれる⦆とはすなわちひとえに「声が嗄嗄になる」⦅こえががらがらになる⦆ということを意味しているものだと考えれるものでありすなわちひとえに「声が嗄れる」⦅こえがかれる⦆ということを意味しているものだと考えれるものだということにもなるものです。
かの現代〈日本〉語ではたとえば「小麦粉がダマになる」⦅こむぎこがだまになる⦆のその「ダマ」の部分やまたたとえば「フードがばえる」⦅Food がばえる⦆のその「ばえる」の部分やまたたとえば「娘がぐれる」⦅むすめがぐれる⦆のその「ぐれる」の部分などのようにその単語の先頭の所に濁音が来るのをそこまで嫌うものではありませんがかの古典〈日本〉語では1時まではその単語の先頭の所に濁音が来るのをまままま嫌うような傾向があったのでそこではたとえば「声が嗄れる」⦅こえががれる⦆と「声が嗄れる」⦅こえがかれる⦆の中でも特にその内のその「声が嗄れる」⦅こえがかれる⦆のほうがより優勢になってしまって残ってしまうことになりました。
その「声が枯れる」⦅こえがかれる⦆は基本的には誤表記に近いものでありそこでは本来であればその「声が嗄れる」⦅こえがかれる⦆こそぞが使われてしかるべきものです。
またそこでは本来であればたとえば「渋くて嗄嗄の声」⦅しぶくてがらがらのこえ⦆などもたとえば「渋嗄れた声」⦅しわがれたこえ⦆などと書かれてしかるべきものです。
因みに余談ですが「草木が枯れる」⦅くさきがかれる⦆とはすなわちひとえに「草木がからからになる」⦅くさきがからからになる⦆ということでありすなわちひとえに「草木が乾く」⦅くさきがかわく⦆ということでしょうか?
まあ草木は枯れるとその水分が減少するのでそれもあながち間違ってはいないのでしょうがそこにはたとえば「勢いがかげる」⦅いきおいがかげる⦆のその「かげる」の部分なども絡んできているせいかつまりは「草木が枯れる」⦅くさきがかれる⦆≒「草木がかげる」⦅くさきがかげる⦆のせいかそこではそれについては必ずしも100%そうだとまでは言えないものです。