さてところで家やお店の前などに水を蒔いてきれいにすることはたとえば「打ち水」⦅うちみず⦆などと言われたりするものですがその「打ち水」⦅うちみず⦆とはいったいどういう意味の言葉でしょうか?
その「打ち水」⦅うちみず⦆とはすなわちたとえば「水を打つ」⦅みずをうつ⦆ということでしょうか?
まさかそんなわけがありません!
その「打つ」⦅うつ⦆はたとえばかの道具の「とんかち」がひとえに打撃の道具として名高いことからもわかるようにたとえば「かたかたと」や「かちかちと」や「かんかんと」や「かきいんと」などを受けて使われるものですがしかしまたそもそも水をたとえばそのようなとんかちなどでかちかちと打ったとしていったいどうなるというのでしょうか?
言わくふにゃふにゃの水がのれんに腕押しのようにばしゃんばしゃんと飛び散ってしまうだけのことでありいっこうに何にもなりません。
そのような「水を打つ」⦅みずをうつ⦆説を信奉している人たちというのはもはや人間をやめたほうが良いレベルのド阿呆たちだけでありそのような「水を打つ」⦅みずをうつ⦆説はもはや論じるにすら値しないものです。
さてではその他の候補としてはその「打ち水」⦅うちみず⦆とはすなわちたとえば「水を捨つ」⦅みずをうつ⦆もしくは「水を擲つ」⦅みずをうつ⦆ということでしょうか?
その「捨つ」⦅うつ⦆もしくは「擲つ」⦅うつ⦆はたとえば「ぽいっと」や「ぽんと」などを受けて使われるものでありその「捨つ」⦅うつ⦆もしくは「擲つ」⦅うつ⦆にはひとえにたとえば「捨てる」⦅すてる⦆や「ほうり投げる」⦅ほうりなげる⦆などのような意味があるものですがかの〈日本〉語の文言の「全財産を投げ捨つ」⦅ゼンザイサンをなげうつ⦆や「擲っちゃり」⦅うっちゃり⦆や「石を擲つ」⦅いしをうつ⦆などの中に出てくるその「うつ」はひとえにそのような「捨つ」⦅うつ⦆もしくは「擲つ」⦅うつ⦆として解釈されるべきものです。
そのような「水を捨つ」⦅みずをうつ⦆もしくは「水を擲つ」⦅みずをうつ⦆説はたとえば「地面に水を蒔く」⦅ジメンにみずをまく⦆≒「地面に水を投げ捨てる」⦅ジメンにみずをなげすてる⦆などのような意味のものとしてまあまあそこまで悪いものではありませんし筆者も1時期はそのような「水を捨つ」⦅みずをうつ⦆もしくは「水を擲つ」⦅みずをうつ⦆説をしばらくの間、実際に信奉していたものです。
しかしまたここで筆者は気付きました。
「言葉の語源というのは発音の訛りや誤差などを許容した上でもっと単純に考えれば良いのだ!」ということにです。
さてそこでいざ満を持して登場してくるのが筆者の今や大本命の「水を蒔つ」⦅みずをうつ⦆説です。
その「蒔ち水」⦅うちみず⦆というのはひとえにすなわち「地面に水を蒔く」⦅ジメンにみずをまく⦆ことです。
またそれゆえにその「蒔ち水」⦅うちみず⦆というのはもっと普通に素直に考えるとたとえば「(*)蒔き水」⦅まきみず⦆が訛ったものだと考えるのが1番の王道のはずです。
筆者としてはこれこそぞが今や超絶1推しの持論です。
まあたしかにその発音面での齟齬は多少はありますがかのスポーツの野球で本塁打を表わすのにたとえば「本塁打をかちいんと打つ」⦅ホンルイダをかちいんとうつ⦆からの「本塁打をかきいんと打つ」⦅ホンルイダをかきいんとうつ⦆などがあることなどを考えてみてもその発音面での齟齬はもはや大した問題ではありません。
因みにそれらの「蒔ち水」⦅うちみず⦆や「水を蒔つ」⦅みずをうつ⦆などはかの〈漢〉文字の〘播〙⦅ハ⦆を使ってたとえば「播ち水」⦅うちみず⦆や「水を播つ」⦅みずをうつ⦆などのように書かれても良いものですが筆者としてはどちらかと言うとそれらの「播ち水」⦅うちみず⦆や「水を播つ」⦅みずをうつ⦆などのほうをより好んで使うものです。