言語や思想などを中心に個人で色色と書いています。

はじめに

  • 記事作成日:2024年7月1日
  • 記事最終更新日:2025年3月8日

〈日本〉語の〈和〉単語や〈漢〉単語や欧米単語などの単語たち

さてところで人はともすればふと「〈日本〉語の単語」などとついついうっかりと何らの深い考えなどもなしにただの憐れな惰性でもって言ってしまったりすることなどもこれがはたしてわりかしよくあったりするものだがしかしまたそのような「〈日本〉語の単語」についていざここで1つなおのこと改めてしっかりと考えてみることにするといかにも「〈日本〉語」とはすなわちかの太陽のように光り輝く神国日本の人たちがそのかつてのそのいにしえの時分から始まってその今のその現代の時分に至るまでおよそ「最も」と言っても良いぐらいに1番たくさん使ってきている言語にこそぞ当たるものだと考えれるものでありまたいかにも「単語」とはすなわち言語の色色な種類の有意味な単位の中でも特にその内の最も基本的な単位にこそぞ当たるものだと考えれるものだ。

またその中でも特にその内のその「単語」については時としてたとえば1つにはそれ以上はまるで分割しようのない「単純系の単語」として・・・そしてまたたとえばもう1つにはそのそれ以上はまるで分割しようのない単純系の単語たちがいくつか互いに組み合わさることで産み出されてくる「合成系の単語」として・・・というようにいざ2つの種類のものへと分けて考えられたりすることもあるものだ。そしてまたその中でも特にその内のその「単純系の単語」は時としてたとえば「表意味素」(形態素)などと呼ばれたりすることもあるものでありそしてまたその中でも特にその内のその「合成系の単語」は時としてたとえば「熟語」などと呼ばれたりすることもあるものだが本書ではそれらの「単純系の単語」と「合成系の単語」についてはどちらも共にひとえに「そのただの普通の「単語」というそのそれ自体よりもより大きな括りの実体の中に属しているに過ぎないもの」としてこそぞいざ考えていくことにしよう。

さてそれらの〈日本〉語の色色な種類の単語たちの中でも特にその内の「その〈日本〉語そのものこそぞをその原言語とするもの」は時としてたとえば「〈和〉単語の単語たち」=「日本単語の単語たち」=「〈大和〉言葉の単語たち」などと呼ばれたりすることがあるものだ。またその他にもその〈日本〉語の中へとはともすればその他のもろもろの異言語の単語たちがいざ勢い勇んで輸入されたりすることなどもこれがはたしてわりかしよくあったりするものだがさてところでその中でも特にその内の「かの⦅中国⦆の主な言語である〈中国〉語こそぞをその原言語とするもの」は時としてたとえば「〈漢〉単語の単語たち」=「中国単語の単語たち」などと呼ばれたりすることがあるものでありそしてまたその中でも特にその内の「かの⦅欧米⦆の主な言語である欧米語こそぞをその原言語とするもの」は時としてたとえば「欧米単語の単語たち」などと呼ばれたりすることがあるものだ。

ただしそのようにしていざ「〈日本〉語の〈和〉単語の単語たち」とは1口には言ってもその〈日本〉語という言語のその祖先の言語に当たるものはたとえば少なくとも「今」⦅西洋暦の紀元後2024年⦆から数えて3000年以上ぐらい前の時代にはもう既にごくごく普通に話されていた可能性が高いものでありまたそれゆえにそこではそれらの〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちの中にはたとえば「その太古の大昔の時代にやれ何やかんやと色色と話されていたその他のもろもろの異言語たちこそぞをその原言語とするもの」がもう既にやれ何やかんやと色色と混入してしまっている可能性などもこれがはたして全くないわけではないものだが本書ではそれらの〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちの中でも特にその内のその「その太古の大昔の時代にやれ何やかんやと色色と話されていたその他のもろもろの異言語たちこそぞをその原言語とするもの」についてはひとえに「その〈日本〉語の中へともう既にやれ何から何まですっかり完全に帰化してしまったに過ぎないもの」すなわち「その〈日本〉語のある種の「帰化〈和〉単語」の単語たちに過ぎないもの」としてこそぞいざ考えていくことにしよう。

またそれらの「〈日本〉語の〈和〉単語や〈漢〉単語や欧米単語などの単語たち」は時としてたとえば「〈日本〉語の和語や漢語や欧米語などの単語たち」などと呼ばれたりすることもあるものだがしかしまたその「語」という言葉はたとえば〈英〉語や〈フランス〉語やドイツ語などのように時としてひとえに「単語」ではなくむしろ「言語」こそぞをいざ意味していることもあるものでありいかにもややもするとややこしくてたまらないものだ。またそれゆえに本書ではそれらの「〈日本〉語の〈和〉単語や〈漢〉単語や欧米単語などの単語たち」についてはひとえに「〈日本〉語の和語や漢語や欧米語などの単語たち」などの言葉ではなくむしろ「〈日本〉語の〈和〉単語や〈漢〉単語や欧米単語などの単語たち」などの言葉こそぞをいざより好んで使っていくことにしよう。

〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちの失楽園と受難

さて〈日本〉語はそれらの〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちにとってはかつてはある種の永遠の理想の楽園に等しかったものでありそこではそれらの〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちはやれ何らの老いも病いも死も苦しみも悩みもおよそなしにある種の永遠の無上の幸福のみをただただひたすらたっぷりと好きなだけ享受していたに等しかったものだがしかしまたそのような〈日本〉語もひとえに「かの魅惑の禁断の果実」すなわち「それらの〈日本〉語の〈漢〉単語や欧米単語などの単語たち」をその自分自身の愚かな欲望や好奇心などにそそのかされてついついうっかりと口にしてしまったことでそれらの〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちにとってはひとえにそのかつてのようなある種の永遠の理想の楽園どころかむしろその今のようなひとえにまるで有象無象の魑魅魍魎たちがそこかしこをうじゃうじゃと跋扈しているかのようなそんなある種の自業自得の阿鼻叫喚の生き地獄へとついにはあれよあれよという間にずるずると転落してしまうこととなったのであった。

さて〈日本〉語ではそれらの〈日本〉語の〈漢〉単語や欧米単語などの単語たちは基本的にはかの太陽のように光り輝く神国日本の人たちがかの太陽のように光り輝く神国日本のその自国のその国外の領域の中にあるたとえば宗教、法律、思想、哲学、科学、文学、歴史、技術、芸能、素材、製品などのようなより優れた文物や文化や文明などをかの太陽のように光り輝く神国日本のその自国のその国内の領域の中へといざしゅくしゅくと謙虚に取り入れてきた結果としてこそぞその勢力をいざじわじわとどんどんと拡大してきたものだがそのような自分自身の外なる世界の富みの獲得はそのような自分自身の内なる世界の富みの繁栄にとってもある意味ではそもそも何ら恥じるべきことでもない必要不可欠なことでありまたそれゆえに〈日本〉語ではそれらの〈日本〉語の〈漢〉単語や欧米単語などの単語たちの侵略や増長や狼藉などはそういう意味では必ずしも100%全面的に否定されるべきものでもないものだ。

だがしかし今やくるりと翻ってそのここ最近のかの太陽のように光り輝く神国日本をいざ大いに取り巻いてやまないその自国卑下とその欧米崇拝のそのあまりにも極端なまでに1方的に偏向した風潮はやれかの「〈明治〉維新」やらやれかの「第2次世界大戦の敗戦」やらなどのようなその自国の歴史上のある種の1大事件たちこそぞをその契機として形成されてきたものなのか?何なのか?いかにもあまりにもいかがわしいほどにたっぷりと目に余るものがあるのではないだろうか?

たとえば何か新たなIT系の野心的な会社が起業したりまたたとえば何か新たな法人経営の複合商業施設や個人経営の飲食店などが開業したりまたたとえば何か新たな高層ビルや鉄道駅などが竣工したりまたたとえば何か新たなお菓子やアイスなどが発売されたりまたたとえば何か新たなイケメンや美少女などが芸能界デビューしたりいよいよしたかと思えばそれらの物事たちの名前はたとえばその辺のたわいもない街中の猥雑な風景についてふとぱっと見渡してみさえしてみてもまた同じくすぐにわかることだがこれがはたして何とまあ何かと決まってその辺のめちゃくそしょうもない欧米単語の単語たちをいかにもちょちょいのちょいと適当にもじっただけのものだったりするのがおよそ常のことではないか!

さてではそもそも「そのようなそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちのある種の無分別な氾濫はいったい何がそこまでいけないことなのか?」というとそれはつまりは1つにはそのようなそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちのある種の無分別な氾濫はもちろんかの欧米諸国との互いのある種の友好的な関係性をより濃厚にはぐくんでいけるなどの面ではそれなりに良い面もあったりはするのだろうがしかしまたその1方で基本的にはそれらの〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちの衰退そしてまた引いてはその〈日本〉語のその太古の大昔の時代からのその他のもろもろの数々の貴重な遺産たちのある種の無分別な破壊などとも互いにある種の表裏1体のおよそ切っても切れないほどの極めて深い関係にあるものだからだがまたそれゆえに筆者としては「そのようなそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちのある種の無分別な氾濫などというものはいかにもそうのんきにじっと手をこまねきながらうかうかと見逃しておけるようなそんなある種の取るに足らない些細な問題などではけっしてないものだ!」とこそぞ今やそう大いに考えるわけなのだ!

そしてまたまた別のとある独特な切り口の視点から考えてみても言語というものはその言語の中にあるそれらの単語たちも含めて基本的にはある種の時間的な流れの中にあってこそぞ始めて成り立っているものだと考えれるものだがまたそれゆえにそこではそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちは基本的にはそのほとんどがかの西洋暦の紀元前の時代の頃からやれ何やかんやと色色と話されていたたとえばゲルマン語やラテン語やギリシャ語などのような色色な種類の古典欧米語たちの単語たちにこそぞより究極的には由来するものだと考えれるものだがまたそれゆえにそこではそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちについていざ真の意味できちんと理解しようと思えば基本的にはそれらの色色な種類の古典欧米語たちの単語たちについてもまた同じくある程度まではきちんと理解しておくのが本来であればいかにも極めて望ましいことだと考えれるものだ。しかしまたその今のその現代の日本でそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちを何かにつけてやたらと好き好んでじゃんじゃんじゃらじゃらと使いたがるようなやれ「ビジネスマン」だのやれ「コンサルタント」だのやれ「プロディューサー」だのといったようなある種の浅薄で軽佻な人種のやつらでひとえにそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちだけではなくむしろまたそれに加えてそれらの色色な種類の古典欧米語たちの単語たちについてもまた同じくある程度まではきちんと理解している人間などというものはこれがはたしておよそまるで見当たりようがないぐらいにいかにも極めて超超超少数派でしかないものでありまたそれゆえに筆者としてはその点をもってしても「そのようなそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちのある種の無分別な氾濫などというものはいかにも目をそばめたくなるほどに卑しくてはしたない行為に他ならないものだ!」とこそぞ今やそう大いに考えるわけなのだ!

〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちの復活

さて筆者としてもひとえに「〈日本〉語ではそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちなどというものはその〈日本〉語の中からはいざ全て1律的に問答無用で排除されてしまってしかるべきものだ!」とまではけっして言ったりはしないものだがしかしまた筆者としてもひとえに「〈日本〉語ではそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちなどというものはもし仮にできることならばそれらの〈日本〉語の〈和〉単語や〈漢〉単語などの単語たちを使っていざどんどんと積極的にきれいさっぱりと置き換えられてしまってしかるべきものだ!」とばかりだけはいざ真摯にその声を大にして訴えていくことにしようではないか!なぜならそのようにしてこそぞいざ大いに達成されるであろうそれらの〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちの復活はひとえにかの太陽のように光り輝く神国日本のそれこそ筆者も含めての数多くの人たちがいざ大いに待ち望んでやまないでいることに他ならないものだからだ!

さてところで筆者の見立てでは今日この頃のその世知辛い世の中の中にあっては読者の皆様の頭の中には「まあでもそこではそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちのある種の邪悪な有害性についてはひとまずはさては置いておくとしてまた別のそれらの〈日本〉語の〈漢〉単語の単語たちのある種の邪悪な有害性についてはいったいどのようにして考えていけば良いのか?」というようなまた別のある種の当然の疑問もあるいはひょっとするともうそろそろこの辺りでじわじわと湧いてきていてもおかしくはないものなのかもしれないがしかしまた今こそぞ1つしっかりと覚えておきたいのは「そこではそれらの〈日本〉語の〈漢〉単語の単語たちはひとえにその多くがかの「漢字の訓使い」(漢字の訓読み)を通じてそれらの〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちとも互いに強固に結び付いているがゆえにいざ何となればたとえば「〈日本〉語のある種の「間接〈和〉単語」の単語たち」などとそういっそのこと呼ばれてしまってもこれがはたしておよそ構わないぐらいにそれらの〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちとも互いに近しい関係にあるものだと考えれるものだ」ということでありまたそれゆえに「そこではそれらの〈日本〉語の〈漢〉単語の単語たちのある種の邪悪な有害性についてはたとえばそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちのある種の邪悪な有害性などと互いに比べてみても基本的にはそうは言ってもそこまでべらぼうに大きなものではないものだと考えれるものだ」ということだ。

〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちと〈漢〉単語の単語たちの今やここぞとばかりの連合軍による〈日本〉語の欧米単語の単語たちの撲滅大作戦!

さて本書ではそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちについてはまず第1にはそれらの〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちによるある種のうまい置き換えこそぞをいざ模索していくことにしそしてまた第2にはそれらの〈日本〉語の〈漢〉単語の単語たちによるある種のうまい置き換えこそぞをいざ模索していくことにするがその際には本書のその独自の発想に基づいた事例たちに加えてはたまたいざ何となればかの⦅中国⦆の主な言語である〈中国〉語の単語たちのことも場合いによってはその必要に応じていざ大いに参照していくことにしよう。なぜなら〈日本〉語ではともすればただ単にそれらの〈日本〉語の欧米単語の単語たちが使われるような場面であっても〈中国〉語ではともすればむしろ「その〈中国〉語の中へとそれらの欧米語の単語たちがいざきちんと翻訳された上でいざきちんと輸入されたもの」すなわち「いざ何となればたとえば「〈中国〉語の翻訳〈漢〉単語の単語たち」などとでも呼ばれるべきようなもの」が使われることもこれがはたして何かと多いものだからだ。

さあ今やその機はもう充分に熟したはずだ!

かくなる上は今こそぞかの『〈日本〉語の〈和〉単語の単語たちと〈漢〉単語の単語たちの今やここぞとばかりの連合軍による〈日本〉語の欧米単語の単語たちの撲滅大作戦!』なるものをいざ大いに始めてみようではないか!

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この記事を書いた人
〈日本〉産まれ〈日本〉育ちで〈日本〉語がいわゆる母言語かつ母国語です。〈英〉語はまあまあ得意です。その他にも〈ドイツ〉語、〈フランス〉語、〈ポルトガル〉語、〈中国〉語、〈韓国〉語辺りはある程度までは読めますが言語って実際の会話では人名や地名や難解な言葉や世俗的な言い回しなども含めてすさまじい速さでかなりめちゃくちゃに進行していくものなのでそれを1言も漏らさずに完璧に聞き取ったりするのはなかなか難しいですね。元元は思想や哲学や宗教などが好きで色色と勉強していたりしたのですがそうこうしている内に言語学についてもかなり専門的な知識が身に付くようになりました。最近は特に〈日本〉語の〈沖縄〉弁の方言と〈中国〉語の〈香港〉弁の方言をぼちぼちと折りに触れて勉強しています。あっ因みに〈日本〉の中でも〈大阪〉の民度の低い地域の出身なので〈日本〉語の〈大阪〉弁の方言もその気になればネイティヴでしゃべれます!