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「呆気ない幕切れ」⦅あっけないマクぎれ⦆って「呆れ返るような幕切れ」⦅あきれかえるようなマクぎれ⦆なの?

  • 記事作成日:2026年8月10日
  • 記事最終更新日:2026年8月11日

さてところでスポーツの試合などがさして予期もせぬ展開などで突然終了してしまった時などにはそれを「何とも呆気ない幕切れだった」⦅なんともあっけないマクぎれだった⦆などと表現したりしますがその「呆気ない幕切れ」⦅あっけないマクぎれ⦆とはいったいどういう意味の言葉でしょうか?

その「呆気ない幕切れ」⦅あっけないマクぎれ⦆とはすなわちたとえば「呆れ返るような幕切れ」⦅あきれかえるようなマクぎれ⦆などというような意味の言葉でしょうか?

そのような「呆気ない幕切れ」⦅あっけないマクぎれ⦆≒「呆れ返るような幕切れ」⦅あきれかえるようなマクぎれ⦆説は通常は以下のようにして説明されるものです。

その「呆気ない幕切れ」⦅あっけないマクぎれ⦆とはすなわち「突然の事態であるがゆえに驚いたり呆れ返ったりしてしまうようなそんな幕切れである」というようにしてです。

なるほど確かにそれはそれなりに筋の通った説ではありますがしかしまた筆者からするとそれはその「ゆえに」の部分がどうしても蛇足に感じられてしまうものです。

筆者からするとそこではその「ゆえに」の部分がどうしても意味の転用・・・引いては意味のこじ付けに・・・うかつにも悪用されてしまっているだけのように感じられてしまうものです。

「その「呆気ない」⦅あっけない⦆とはすなわちもっと直接的にその「突然の事態」⦅トツゼンのジタイ⦆そのもの表わしているものだ」

そのようにして考えることははたしてそんなにも難しいことなのでしょうか?

さてそこで筆者が目を付けたのはたとえば「あわい」や「あっさりとした」などの言葉たちです。

それらの「あわい」や「あっさりとした」などはたとえばかの〈漢〉文字の〘淡〙⦅タム⦆⇔⦅タン⦆を使って表わされるものですがたとえばかの〈漢〉文字の〘膩〙⦅ジ、ニ⦆を使って表わされるかの「くどい」や「こってりとした」などとは互いに反対意味的な関係にあるものです。

それらの「あわい」や「あっさりとした」などはたとえば「後味や余韻などが残らない」⦅あとあじやヨインなどがのこらない⦆などのような意味を持っているものでありそれらの「くどい」や「こってりとした」などはたとえば「後味や余韻などが残る」⦅あとあじやヨインなどがのこる⦆などのような意味を持っているものです。

そしてまたそれを受けて筆者が提唱したいのはたとえば「その「呆気ない」⦅あっけない⦆とはすなわち「淡っけない」⦅あっけない⦆でありその「淡っけない」⦅あっけない⦆とはすなわち「(*)淡わけない」⦅あわけない⦆や「(*)淡さけない」⦅あさけない⦆などが訛ったものである」という説です。

そしてまたそうするとそこではその「淡っけない幕切れ」⦅あっけないマクぎれ⦆もたとえば「そのスポーツの試合の流れや展開などをぶった切ってその後味や余韻などもまるで残さずに突然やって来る淡白な幕切れ」としてうまく解釈されるものです。

いかにもかの「呆気に取られる」⦅あっけにとられる⦆の中に出てくるその「呆気」⦅あっけ⦆はかの「呆れる」⦅あきれる⦆とも互いに関係があるものですがその「淡っけない幕切れ」⦅あっけないマクぎれ⦆の中に出てくるその「淡っけ」⦅あっけ⦆はかの「淡わい」⦅あわい⦆や「淡っさりと」⦅あっさりと⦆などとこそぞ互いに関係があるものなのでした。

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この記事を書いた人
〈日本〉産まれ〈日本〉育ちで〈日本〉語がいわゆる母言語かつ母国語です。〈英〉語はまあまあ得意です。その他にも〈ドイツ〉語、〈フランス〉語、〈ポルトガル〉語、〈中国〉語、〈韓国〉語辺りはある程度までは読めますが言語って実際の会話では人名や地名や難解な言葉や世俗的な言い回しなども含めてすさまじい速さでかなりめちゃくちゃに進行していくものなのでそれを1言も漏らさずに完璧に聞き取ったりするのはなかなか難しいですね。元元は思想や哲学や宗教などが好きで色色と勉強していたりしたのですがそうこうしている内に言語学についてもかなり専門的な知識が身に付くようになりました。最近は特に〈日本〉語の〈沖縄〉弁の方言と〈中国〉語の〈香港〉弁の方言をぼちぼちと折りに触れて勉強しています。あっ因みに〈日本〉の中でも〈大阪〉の民度の低い地域の出身なので〈日本〉語の〈大阪〉弁の方言もその気になればネイティヴでしゃべれます!