さてところで世間1般ではかの〈日本〉語の単語の「向かう」⦅むかう⦆や「終まう」⦅しまう⦆などは時として継続、反復の用法のものに当たるものだなどと言われたりすることなどがあるものですがこれははたして本当でしょうか?
そもそも世間1般ではそのような継続、反復の用法とは基本的にはかの〈日本〉語の動詞の単語のその後半の所の部分をたとえば「Ⓕ+あう」や「Ⓕ+おう」などのようにそのⒻを音節首頭部の固定因子としてそれ以降の部分のみをそれらの「あう」や「おう」などの形へと変化させて作られるものだなどと言われたりするものですがそれはつまりはより具体的にはたとえば「病む」⦅やむ⦆を「(?)病まう」⦅やまう⦆や「流れる」⦅ながれる⦆を「(?)流らう」⦅ながらう⦆などへと変化させて作られるものだなどと言われたりするものです。
さてより1般に話しをすると話しがややこしくなってしまうのでひとまずはより1般にではなくむしろそれらの〈日本〉語の単語の「向かう」⦅むかう⦆や「終まう」⦅しまう⦆などのみに限って話しをすることにするとそこではそれらの〈日本〉語の単語の「向かう」⦅むかう⦆や「終まう」⦅しまう⦆などはひとえにそのような継続、反復の用法のものなどではなくむしろただの自動詞形や受動態形などにこそぞ当たるものだと考えれるものです。
そこではたとえば「(*)向かる」⦅むかる⦆や「(*)終まる」⦅しまる⦆などの形がただ単に発音の突然変異を起こして訛ってたとえば「向かう」⦅むかう⦆や「終まう」⦅しまう⦆などの形へといつの間にか変化してしまっているだけのことだと考えれるものです。
またそれゆえにそこではその〈日本〉語の単語の「(*)向かる」⦅むかる⦆⇔「向かう」⦅むかう⦆はただ単にかの〈日本〉語の単語の「向ける」⦅むける⦆に対する所のその自動詞形、受動態形に当たるものだと考えれるものでありその〈日本〉語の単語の「(*)終まる」⦅しまる⦆⇔「終まう」⦅しまう⦆はただ単にかの〈日本〉語の単語の「終める」⦅しめる⦆に対する所のその自動詞形、受動態形に当たるものだと考えれるものです。
因みにその〈日本〉語の単語の「向かう」⦅むかう⦆はかの〈日本〉語の単語の「赴かる」⦅まかる⦆がいつの間にか変化してしまったものであるかの〈日本〉語の単語の「赴かう」⦅むかう⦆などとは互いに区別されるべきものです。