言語や思想などを中心に個人で色色と書いています。

「ゼロ」⦅Zero⦆

  • 記事作成日:2024年7月20日
  • 記事最終更新日:2025年3月17日

概要

「ゼロ」⦅Zero⦆=「ちゃら」

さてこの〈日本〉語の欧米単語の単語の「ゼロ」⦅Zero⦆はたとえば〈日本〉語の〈和〉単語の単語の「ちゃら」などとしてこそぞいざ置き換えれるものだ。またこの〈日本〉語の欧米単語の単語の「ゼロ」⦅Zero⦆はその語源的にはその欧米語の中へとはどうやらかの〈アラビア〉語を通じてこそぞいざ入ってきたものらしいがたとえば「空っぽであること」などをいざ意味しているものだ。

〈日本〉語は「0」も言えない欠陥言語なのか?

さて筆者はその昔「数の「0」を表す〈日本〉語の〈和〉単語の単語などというものはおよそこの世の中には存在しないらしい」ということを聞いて「なんだ・・・その昔の本来の〈日本〉語っていうのはそんな「0」ごときの物事すらをもろくすっぽ満足には言えないようなそんなやぼな欠陥言語なのか・・・」などといかにもひどく残念に思った記憶があるものだがしかしまたその1方でそれと同時に「まあでもたかだか「0」ぐらいいざあれこれとちょちょいのちょいと適当にちょろまかして工夫すればその昔の本来の〈日本〉語でも何とかどうにか頑張って言えるものなんじゃないだろうか?」などとも常々何かにつけて思っていたものだった。

さてそんなこんなでそうこうしている内に今やもはや「光陰、矢のごとし!」早くもいく年もの月日がいざ過ぎ去ろうかとしていたかのようなそんなとある時節のとある矢先に筆者はある日ふと思い付いたのである!「あれれ?数の「0」はあるいはひょっとするとかの〈日本〉語の〈和〉単語の単語の「ちゃら」で良いんじゃないか?」と。またそれゆえに「たとえば「0、1、2、3・・・」はひとえにたとえば「ちゃら、ひと、ふた、み・・・」で良いんじゃないか?」と。

さてその〈日本〉語の〈和〉単語の単語の「ちゃら」はそもそもその語源的には基本的にはたとえば「爽っぱり」⦅さっぱり⦆という言葉や「全っぱり」⦅さっぱり⦆という言葉や「さら」=「新品、純潔」という言葉などとも互いに近親の関係にあるものだと考えれるものだがその実際の用法ではひとえにまさしくたとえば「ゼロ」⦅Zero⦆=「何もないこと」こそぞをいざそれっぽく実質的に意味しているものでありひとえにまさしくたとえば「これまでの借金は全てゼロにする」=「これまでの借金は全てちゃらにする」などのようにしてこそぞいざ使われたりしているものだ。

そしてまたいかにもそのようにしてこそぞその〈日本〉語の中へとはひとえにその〈和〉単語の単語の「ちゃら」とまた別の〈漢〉単語の単語の「零」⦅レイ⦆とまた別の欧米単語の単語の「ゼロ」⦅Zero⦆とがいざ3者揃い踏みするがごとくにいざ1通り揃って「いよっあっぱれ!」といざ優雅に登場してくれることにもこれがはたしてついぞようやくなるわけなのだ!

アバター
この記事を書いた人
〈日本〉産まれ〈日本〉育ちで〈日本〉語がいわゆる母言語かつ母国語です。〈英〉語はまあまあ得意です。その他にも〈ドイツ〉語、〈フランス〉語、〈ポルトガル〉語、〈中国〉語、〈韓国〉語辺りはある程度までは読めますが言語って実際の会話では人名や地名や難解な言葉や世俗的な言い回しなども含めてすさまじい速さでかなりめちゃくちゃに進行していくものなのでそれを1言も漏らさずに完璧に聞き取ったりするのはなかなか難しいですね。元元は思想や哲学や宗教などが好きで色色と勉強していたりしたのですがそうこうしている内に言語学についてもかなり専門的な知識が身に付くようになりました。最近は特に〈日本〉語の〈沖縄〉弁の方言と〈中国〉語の〈香港〉弁の方言をぼちぼちと折りに触れて勉強しています。あっ因みに〈日本〉の中でも〈大阪〉の民度の低い地域の出身なので〈日本〉語の〈大阪〉弁の方言もその気になればネイティヴでしゃべれます!